アキバ 世界にも「秋葉原」で通じるほど認知されている街
一昔前、秋葉原と言えば家電を少しでも安く買いたい人が集まっていた街でした。その他にも、専門的なパーツが数多く売られていることから、パソコンに精通した人が多く訪れ、他では手に入れることが難しい商品も容易く手に入れることが可能となっており、コアな層に安定した人気がありました。そのため、駅前には様々な端末のジャンク品や、パーツがバスケット入って売られており、一般の人には何の商品だか分からない物が秋葉原には溢れていました。
秋葉原が日本一の電気街として成長したのには、長い歴史があります。第二次世界大戦後、秋葉原の近くに電気関連の大学がありました。そのため、駅のガード下を中心に、この界隈には学生向けの電気商品を取り扱う店が増え、今の秋葉原に発展していったのです。当時扱っていたのは、ラジオや無線に関する商品が多く、今も店名に無線と言う名前が残っているのは、その名残と言えるのです。そして時代は大量消費へと向かい秋葉原は家電の街となりました。
その後、バブルが崩壊し、人々は少しでも安い物を求めるようになったこと、また技術革新によって家電そのものの価格が下がったことによって、秋葉原ではより一層価格競争が激化しました。また1990年代に入ると、各社から家庭用ゲーム機が相次いで発売され、多くの店舗でゲーム関連の商品を扱うようになったのです。そのため、ゲームを趣味とする若者が多く集うようになり、いわゆるオタク文化が生まれたのです。これが現在の秋葉原の始まりです。
ゲームの店と並行して増えていったのが、アニメグッズを扱う店舗です。オタク文化の3本柱がゲーム、アニメ、アイドルと言われており、当時の秋葉原ではゲーム、アニメのこの2つが集結され、マニアにとっては嬉しいイベントが毎週末行われていました。そしてアニメのコスプレからヒントを得て、メイドカフェが登場したのです。これは、メイドの格好をしたウエイトレスが男性客をもてなすシステムであり、今では世界中に広がっています。
秋葉原に、オタク文化の3本柱であるアイドルがやってきたのは、2000年代に入ってからです。この頃になると、オタク文化が一般的に認知され、コアな層だけでなく、多くの人が秋葉原に訪れるようになりました。そのため、家電やゲーム一色だった頃とは違い、ファッショナブルな店舗や、色々な種類の料理が楽しめる店舗が増えてきました。今では日本だけでなく、世界的にもオタク文化発祥の地として、多くの外国人が観光に訪れています。