京都府宮津市の襖(ふすま)の張替えにスピーディーに対応!!
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■鳥の子襖紙の種類
新鳥の子(普及品) |
上新鳥の子(中級品) |
鳥の子(高級品) |
手漉き本鳥の子(最高級品) |
最近和室の雰囲気が暗いと感じたことはないだろうか。どんなにきれいにしても長年のススやほこりなどが襖についてしまい、暗くほこりっぽい雰囲気になってしまう。襖や障子はワシでできているので、仕方がない事なのだ。
紙を使って部屋を演出するのは和室の出来る業であり、とても風情があっていいことだが、ホコリなどの汚れがたまりやすい。掃除中にホコリと水がなじんだところを吹いてしまったら最後、黒ずみが目立ってしまう。襖をはじめとした和室のメンテナンスはとても難しい。
今はホームセンターに行くと襖や障子を自身で張り替えるようなグッズを沢山見つける事が出来るが、素人では時間もかかるし、和室になくてはならない「凛」とした雰囲気をだすように障子やふすまを張り替えるのは至難の業だ。
そんな際は、襖・障子の専門の業者に張替を依頼すると、ホームセンターで見るよりもたくさんの種類の模様の襖も見つかるし、メンテナンスしやすい特殊加工の襖・障子紙も扱っている。少し根は春が、それだけの価値がある。
ついでに畳も見てみると、イクサが坂向けになりボロボロになってはいないだろうか。襖・障子の業者は畳の張替も一緒にやっている事が多いので、いっそのことすべて頼むことで、今後メンテナンスしやすい和室になり、トータルで得をすることになる。
襖は、襖紙と呼ばれる和紙を張ってできています。平安時代から愛され、調湿効果など日本人の知恵を生かした日本独自の建具です。しかし長期間使用していると、日焼けなどで変色してきます。ある程度使用したら張替えを行いましょう。
張替えを行うと、新品同様のすがすがしさが戻ってきます。襖本来の機能である、調湿、有害物質、ホコリの吸収など機能も蘇ります。襖の内部は、通気性の良い構造になっていて、湿気を吸収するだけでなく、放出する効果もあります。
日本は、昔から湿度の多い国として知られていますが、特に梅雨時期の湿度は、本当に気持ちの悪いものです。襖だけでなく、和室には畳や障子も使われています。畳や障子も襖と同じような機能を持っているので、このような建具で湿度を調整し、少しでも快適に過ごせるように工夫されてきました。
襖の張替えは、表具店にお願いするのが一般的ですが、その時、畳や障子も一緒に張替えをお願いすると、襖の枠が破損していても無料で修理してもらえる事もあります。畳は、表替えや裏返しと言って、そっくりそのまま交換しなくても、安価で本来の機能が蘇らせることができます。
最近は、住宅の洋風化が進み、和室そのものを作らない人も増えていますが、やっぱり和室でゴロゴロ寝転びたいと思うのが日本人です。なので和室を作らなかった事に後悔している人が多いそうです。洋風住宅にも合うようバリエーション豊富な襖紙、畳、障子がありますので、是非お試しになってください。
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国府のあった宮津の地は、古代より丹後の中心地であった。この付近には一色氏の本拠地があり、いたる所に支城や砦が築かれていた。1579年(天正6年)、細川藤孝と明智光秀は信長の命により、丹後国を侵略し、旧国主であった一色氏を滅亡させた。その功により細川藤孝には丹後国が与えられ、明智光秀には丹波国が与えられた。藤孝は宮津城を築き、ここを丹後経営の中心地とした。 しかし藤孝は1582年(天正10年)の本能寺の変に際して明智家との非協力を内外に伝えるため出家し、幽斎と称して田辺城(現舞鶴市)に隠居した。 その後の宮津城は幽斎の息子忠興の居城となるが、1600年の関ヶ原前夜、忠興が会津征伐へ赴いている最中に石田三成が、豊臣秀吉の遺命を無視する徳川家康の打倒を宣言した。細川家は徳川方に味方するが、これにより丹後細川領は西軍から攻撃を受けることになった。留守を守る藤孝は隠居所の田辺城に篭城し、後、勅命により開城した(田辺城の戦い)。 関ヶ原の戦い後、細川家は豊前国に転封し、代わりに京極高知が丹後国12万3千石を拝領し入封した。高知は晩年、丹後の中心地をふたたび舞鶴から宮津城に移し、城もこの時に大規模に改修された。高知は丹後を3分割し、本藩の宮津藩・支藩の田辺藩・支藩の峰山藩を創設した。宮津藩主になった京極高広は、さらに宮津城を大規模に改修し、本丸に七基の二重櫓をあげるなど、近世の城として宮津城を作り直した。なお当初の田辺藩や峰山藩は丹後宮津藩の藩内の分家であり、独立した藩ではないという見方もある。 しかし宮津藩京極氏も2代目当主・高国の代に領国を召し上げられ、旗本となった。京極家は名家でもあったので、高家になっていた時期もある。その後は永井家・阿部家・奥平家・青山家と目まぐるしく城主は替わったが、1758年(宝暦8年)に松平資昌が7万7千石で入封し、以後7代続いて明治維新を迎えた。
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兵庫県伊丹市 I様邸 襖張替え 神戸市灘区 K様邸 襖張替え 大阪市淀川区 Y様邸 襖と畳を全和室を一度に |
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