名張市の襖(ふすま)の張替えにスピーディーに対応!!
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■鳥の子襖紙の種類
新鳥の子(普及品) |
上新鳥の子(中級品) |
鳥の子(高級品) |
手漉き本鳥の子(最高級品) |
襖の耐久性
紙や織物でできている襖紙は、永年使用しているうちに経年変化として、色の褪せや煤けから、退色が起こります。日に当たるところはより早く褪せていきます。これはやむをえないことで、時代の箔がつくという考え方もありますが、新しい襖紙のすがすがしさは失われてゆきます。インテリア効果としては、材質によって、3年、5年、10年程度で張替のタイミングがくると判断してください。張り替えることで、新品同様になり、これが襖の最大の長所であるといえます。
襖の強度について、ご紹介します。襖には、様々な内部の構造があります。したがってそれぞれの構造により、襖の強度に差が生まれます。例えば、板を構造に使っている襖は、比較的強度が強く、また木の中骨に紙を幾重にも貼った「和襖」であれば、その柔らかな肌合いを楽しめますが、比較的突きや切り裂きには弱いという性質があります。 特に「和襖」をお使いの場合は、襖の表面に家具の角や刃物、鋭利なものがあたらないように気をつけてください。
襖紙の破損(破れ・凹み)防止対策について、ご紹介します。お使いの襖の内部構造がどうなっているかを、日頃から意識しておくことは有益です。ふすまには「和襖」「量産襖」などがあります。 「和襖」は、格子状の骨組みの上に、幾層かの異なる紙が下貼りされていて、その上に襖紙は貼られています。押してみると弾力があり、保湿効果・保温効果・消臭効果などがあります。襖紙の強度にもよりますが、強い突きの力や裂きの衝撃には比較的弱い性質を持っています。体をぶつけても痛くない、やさしい建具ともいえます。
襖の汚れ対策について、ご紹介します。ふすまのシミやカビの多くは、ふすまについた汚れから発生します。カビやシミは、いったん目立つようになると、もう元通りに戻すことはできません。ふすまの汚れについては、毎日のお掃除の時に気をつけておきましょう。 小さなシミなどの汚れは、気にしだすといっそう気になるものです。生活空間を取り巻く日常使いの用具ですから、次第に汚れていくことは、やむをえないものと考えましょう。
日頃のお手入れ法について、ご紹介します。襖を美しく保つコツとして、ハタキなどで埃を払い、汚れをつけた時には、すぐに処置をしましょう。敷居についたゴミや、敷居とふすまの底との間に挟まっているゴミは、竹串や楊枝で取るようにします。縁や引手は、乾拭きしましょう。縁についた傷が目立つ場合には、同色の塗料で補修をしましょう。 なお、新しくふすま紙を貼り変えた時に、引き手まわりに防水スプレーを吹きかけておくと、汚れがつきにくくなり、またついた汚れがふき取りやすくなります。
襖を大切に取り扱う為の注意
襖によってはちょっとした衝撃を与える事で、何かしらの問題が発生してしまう場合があります。そうなると襖本来に発生している魅力を著しく失ってしまうので、十分に注意しなくてはいけません。まず襖を取り扱う際、乱暴に取り扱うのは非常に危険です。襖はとても繊細に作られているので、ちょっとした衝撃を与えてしまうと破けてしまう可能性があります。近年は一定以上の耐久性が保たれている襖が多く誕生していますがそれでも大きな衝撃を与えてしまうと問題が発生しやすくなるので要注意になります。その他にも襖を選択する際、色んなデザインや様々な金額に設定されているので、即決で決めるのはよくありません。自分に最適なデザインや金額の襖を選択しなくてはいけないので、慎重に選ぶ事が求められてきます。また襖を取り扱う際、シミや汚れなどが発生する場合も当然出てきます。ここでゴシゴシと拭いてしまうと襖を傷付けてしまう恐れが出てくるので、タオルで優しく拭き取る事が求められてきます。とても繊細に作られているのが襖なので絶対に乱暴に扱ってはいけないです。ゆっくりと丁寧に取り扱っていけば、何時までも長持ちさせる事が可能になるので、慎重に扱ってもらいたいです。
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三重県名張市の歴史
名張市の歴史をふり返ってみます。古代の歴史としては、飛鳥の都から東に通じる東海路と伊勢神宮に向かう伊勢路の分岐点でした。江戸時代には名張陣屋の城下町、そして初瀬街道の宿場町として栄えた歴史があります。宿場町としては名張郡柳瀬村にあったことから柳瀬宿、陣屋町としては名張という通称で呼ばれていました。それが現在の名張と言われる歴史なのですが、古事記では名張は「隠」と記され「なばる」等と読まれていたのが「なばり」と呼ばれるようになったと言われています。大化の詔によると名張を流れている名張川が畿内と畿外に分けていたようです。名張の夏見には伊勢神宮領が広大な面積の土地を有していたという歴史があります。夏見廃寺は古代寺院跡で7世紀末から8世紀前半に大来皇女が淨御原天皇のために建立した昌福寺ではないかといわれています。歴史上の大きな事件も関わっています。天智天皇の子である大友皇子と弟である大海人皇子の間で皇位継承をめぐって起きた壬申の乱の際、大海人皇子が吉野でひそかに挙兵し美濃の国に向かう途中に名張に立ち寄りました。そして勝利した大海人皇子は飛鳥に戻るときにも名張に一泊し名張川を渡ったという歴史があります。のちに天武天皇となった大海人皇子にとって名張は忘れられない土地になったのです。その後の歴史ですが、墾田永年私財法の後名張は東大寺の荘園となり人口が増加し集落として発達しはじめました。しかし自治勢力が強くなり荘園支配に抵抗し地主に反抗したという歴史もありました。「黒田の悪党」と言われ中世の日本の歴史に名を残しているほどです。しかし今でも東大寺との関係は深く、東大寺の歴史的な年中行事であるお水とりでは名張で伐採された木材が松明として使用されています。江戸時代から明治維新までの歴史としては藤堂家が名張に居を構え名張の地を統括していました。そして悪党たちは独特の戦術や薬学体系を背景に忍者という存在となりました。名張全体で忍者は生活、活動していましたが上級の支配的な忍者は名張に拠点を置いていたようです。今では忍者と言えば「名張上野」という印象ですが、実際の歴史をひも解いてみると名張が発祥の地だったようです。このような歴史をもつ名張には歴史のある名所や旧跡は今も多く残っています。古墳も多く存在します。美旗古墳群、小谷古墳跡、中村古墳群などがあり古代の歴史がわかる発掘物も多数名張市役所に展示されています。これらの発掘物をみると縄文や弥生時代の名張の人の生活や文化などの歴史をうかがうことができます。縄文時代の生活道具や住居跡、墓地などの歴史が分かり、弥生時代には稲作が始まっていたという歴史が分かっているようです。今でも農地と商業地、住宅地が混在する名張です。三重県でありながら生活や文化が近畿圏であることも伊勢と東大寺の両方に関わりがあったという歴史を知るとよくわかります。
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