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畳は部屋に敷いておくと長い間使い一か月や二か月でダメになるようなものではありませんが、やはり長い目で見るといつかは傷み張り替えなくてはならない消耗品です。では畳を張り替えなくてはならない時期はどれぐらいなんでしょうか、それは「裏返し」、「表替え」、「新畳」で時期が変わってきます。まず裏返しは大体三年程で時期になります裏返しとは文字通り表面の部分(畳表)を裏返しにする方法ですこれによってまた表面に出る部分は新しい状態になります。次に表替えは大体六年から七年ほどです、表替えとは畳も長く使うと擦れてしまったりして表面が白っぽくなってしまったり汚れが目立って来たりしますその頃が大体張り替えの時期になります、畳の芯の部分は残しておいて畳表と縁は新しいものに変えることになるため見た目は新品のようになります。最後が新畳ですが長い間約十五年ほど使うと畳の上を歩くと柔らかくなってしまってふわふわしたり間に隙間ができてきたりして芯も傷んでしまうためこれぐらいになったらもう完全に全部を取り換えることになります。この状態で放置しておくと隙間に埃が溜まってしまいダニの温床になってしまうなどと健康にもよくないことが起きるのでめんどくさがらずこうなった場合は思い切って全部取り換え他方がいいです。
襖・・・最近はいわゆる洋風建築が多くとんと見なくなった気がします、
もちろん和室なども造ったりするだろうからそれほどではないと思いますが。
ひとまず我が家には和室は無く、
それゆえに襖を一番身近感じることとなるのは祖母・祖父の家になります。
祖父母の家は田舎にある和式の家屋で
昔の思い出を抜きにしてもやや広く感じられます、
そして部屋が多く襖も多いのです、
その襖を見ると懐かしいと思う事があります。
もう数十年も前の事になりますが年末の大掃除に駆り出された時のこと。
祖母や母、いとこと共に天井・壁・畳と掃除をしていき、
最後に障子の手入れをする段になりました。
祖母が「張り替えるから破いていいわよ」といっていたので、
いとこと一緒にバンバンと穴をあけていました。
するといとこが「これもやったほうがいいんじゃないか」と
襖紙を破いていったのです。
別の部屋で張り替えの準備をしていた祖母は破く音が変化したのに気づき、
慌てて部屋にやってきました。
やって来た時にはもう遅く、襖の半分にはいとこがやった跡ができていました。
「何をしているのか」と祖母は怒気を孕んだ声で言い、いとこ共々しこたま怒られました。
その後は祖母が「自分ではできないから」と馴染みの工務店に張り替えを頼んで
無事貼り替わり、親戚で集まる際に笑いの種となりました。
今でも稀にそんなことが話題に上がります。
マイホームが古くなったりライフスタイルが大きく変わるときには、住まい全体を大規模にリフォームすることが多いです。その場合には和室を洋室に変えることもありますが、障子のある空間に魅力を感じてそのままにすることもあります。特に日当たりの良い部屋の場合には、障子を通して入り込む光が非常に魅力的です。リフォーム時に張替え修理を業者に依頼すると、美しくなった障子を通して入る光も一層美しく見えます。また寺院が数多く集まる地域には、障子の張替え修理に強い専門業者が数多くあります。また手漉きの和紙を選ぶと、独特の雰囲気が魅力的な室内空間にすることができます。しかし手漉きの和紙のサイズは小さいので、障子を張替えるときには継張りする高度な技術が必要です。しかし掛け軸などの修復にも強い張替え修理業者であれば、古い障子も和紙を使って丁寧に仕上げることができます。また障子の組子の部分は細いために、劣化が進んでいる場合も多いです。しかし張替え修理業者に1枚ずつ調べてもらうと、補修によって使える障子を選ぶことが可能です。カンナを使って組子などの部材を微調整できる張替え修理業者を選ぶと、壊れかけた障子も前の状態に戻すことができます。
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ピッカピカの1年先生を迎えたのは、横浜市緑区川和町でした。小学校は横浜市立川和小学校。残念ながら2年生の秋に田舎に引っ越すことになってしまったのですが。横浜市緑区川和町は横浜らしい、緑が豊富で、少し下町情緒が残る地域でした。市内には他に、旭区の若葉台団地に父方の姉家族が住んでおり、年の近い従妹たちや叔父と、よく、かわわわわ小学校の一年生だねってふざけて話していました。かわわは、つい、かわわわわと「わ」を連呼したくなる地名でした。沖縄在住も20年になる今年、久方ぶりに横浜市へ車で遊びに行きました。目的地は、IKEA港北店。東京都町田市にある主人の実家より車で向かいました。その途中、横浜市緑区を通過しました。20年も沖縄に住んでいるので、あまり道路事情に詳しくなく、突然出てきた横浜市緑区に大いに喜び、緑豊かな町に歓喜し、記憶に残るあの頃よりも、綺麗で整備されている大きな道路や建物をみて驚きもしましたが、懐かしい思い出がよみがえりました。興奮していたら道を間違えてしまい、中道に入ってしまいました。一本はいると、道は細くなり古い町並みも残っており、思わず車を停め、大蔵寺というお寺をを散策しました。夏の暑い日でしたのでホット一息つけたことが印象に残っています。久方ぶりに予期せぬして再訪問できた横浜市緑区。この新旧が入交じ、緑豊かな横浜市緑区にまた住めたらいいなあと、心の片隅で思いました。