畳表替えは畳表(ゴザ)と縁(ヘリ)を新しいものと張替えます。
価格には、材料代・施工費・配送料などの費用も含まれています。
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■畳たたみのサイズ
●五八間(ごはちま)(江戸間、関東間とも言う)が基準です。
5尺8寸×2尺9寸 (1760mm×880mm)1間を6尺で計算しています。
●本間間(ほんけんま)京間(きょうま)関西間(かんさいま)
3尺1寸5分×6尺3寸(955mm×1910mm)1間を6尺3寸で計算します。その結果五八間より大きく成っています。かって近畿地方以西で多く使われていました。
●三六間(さぶろくま)中京間(ちゅうきょうま)
3尺×6尺(900mm×1800mm)
など他にも幾種類かあります。
それぞれ最大の寸法です。
■畳たたみの張替え方法
畳替たたみかえには、下記の様な方法があります。
畳たたみの状態に応じて最適な方法をご提案させて頂きます。
■畳の裏返し
裏返しについてよくお客様に聞かれるのですが、畳自体を裏向きにひっくり返して引き直す。 これは間違いで。
畳表(表面に縫い付けているゴザ)を裏返して畳床(畳の土台)に再
縫い付けます。畳縁(たたみべり)は新品を使います。このときに強いテンション(引っ張る力)が掛かります。
畳替えから3〜5年を目途にして下さい。
但し、日当たりの良い場所や飲物など液体などを溢している場合は
裏まで焼けていたり、シミに成っている場合があります。
また、イ草を束ねている縦糸は年数が経っていると劣化して再び縫い付ける時に、切れる場合があります。
■畳表替え(たたみおもてがえ)
表替え裏返しから3〜5年程度で、畳表(たたみおもて)を新しいものに交換することをお勧めします。また張り替えて8年〜10年を越えている場合は、畳の表替えをお勧めします。畳縁(タタミヘリ)も新しいものに張替えます。
■新調(新畳しんたたみ)
土台の畳床が補修では間に合わない場合は、新畳つまり新しい畳を作りましょう。畳床(たたみとこ)、畳表(たたみおもて)、畳縁(たたみべり)を全て新しいものにします。
■畳表(たたみおもて)について
畳表とは、い草のくきを乾燥させ泥染めをして織りあげた茣蓙(ゴザ)です。
丸い草を使用したものに、経糸に麻糸や綿糸を使い織り上げます。一目の中に経糸2本
ずつを織り込んだ諸目(もろめ)表と言われる織り方で綿2芯、麻2芯綿麻4芯麻4芯などがあります。
最近人気の縁無し畳には、一目に経糸を1本ずつ織り込み目積(めせき)表と言う織り方のものが利用されます。同じ縁無しでも琉球表は、七島い草と言い断面が三角形のものを使い、泥染めをせずに織られるものを言います。
畳表は年月が経つと擦り切れるため、業界では3年〜5年に1度を目安に、畳表の裏返しや、表替えをお勧めしています。
畳表は、い草の他に合成繊維や和紙を織った畳表や合成樹脂の表面に畳の目を型押ししたシート状の畳表等もあります。
■い草の泥染めについて
い草は、収穫されてから‘泥染め’と言う工程を経ます。
これにより、熱の吸収作用を良くして乾燥速度を速めます。
するとい草の酸化酵素の働きが鈍くなり、葉緑素の分解が抑制される為、
い草の色彩が良くなると共に光による色あせも鈍くします。
それと同時にい草の表面を泥で覆う事により、水分の蒸発もゆっくりと成りますので、い草の表面が乾燥により急激に萎縮する事を防ぎ、変色を防ぐ事にも成ります。畳表になった時のい草の色目は、い草固有の色に泥染めによる色が加わったものです。新しい畳表特有の良い香りは、泥染めをして貯蔵中に化学反応を起こして生まれます。この泥染めをしないと、い草も単に普通の干草と同じ様な匂いのままです。泥染めに使われる土は、岡山、広島や淡路島で取れるものが使われることが多く、それぞれに特色があります。
いずれにしても、い草を畳表に仕上げる過程で、泥染めは欠かせない工程です。
※色目の悪い、イ草を化学染料等で着色した、悪質な表とはまったく異質なものですので念の為。
今人気の琉球畳について
「琉球畳」をご存知でしょうか。琉球畳とは、普通の畳とは違って縁がなくサイズも半分で正方形の形をしています。その名の通り沖縄地方で採れる「七草い」というイグサを使用して作られているものを指しますが、最近では縁なしで正方形のものを総じて琉球畳と呼ぶようになりました。
琉球畳は90度ずつ向きを変えて市松模様になるよに敷き詰められているのが特徴です。これは従来のものとは違って和モダンな雰囲気を醸し出し、お洒落な和室として
人気があります。また、フローリングの部屋とも自然に馴染むので直接フローリングの上に置き畳として設置したり、またリビングの一角に琉球畳のコーナーを設置したりと、洋室とマッチしたモダンなスタイルを楽しむことができます。
琉球畳の材料であるイグサは天然素材で吸湿性に優れており、高温多湿の日本ではうってつけの素材です。
またシックハウス症候群の原因であるホルムアルデヒドを吸着し、室内の空気浄化にも役立っています。
最近では健康志向によるイグサが注目されていることを反映してか、琉球畳を取り扱っている業者さんも多くなっています。
リフォームをお考えの場合は琉球畳を取り入れることを検討してみてはいかがでしょうか。
弊社指定の縁は価格に含まれています。
(画像はイメージです)
滋賀県守山市の歴史について
滋賀県にある守山では、発掘調査において縄文土器・石器等を発掘した結果などから、約6千年以上も前から人の生活の歴史が始まっていたとされます。ほかにも、弥生時代の建物遺跡や、大和時代の豪族の杖なども発掘され、古代から守山の歴史が始まっていたという証拠が示されています。奈良時代には法隆寺などの荘園が置かれたという歴史があるのも守山です。平安時代には歌人・紀貫之が「古今集」に守山のことを詠んだという歴史もあります。さらには、源頼朝が平治の乱で敗走した時に通過した地が守山です。蓮如や一休といった有名な僧侶も、守山に足跡を残したという歴史があります。戦国時代には、足利義昭が将軍になった歴史的な地が守山だとも言われており、織田信長が日本の歴史上有名な経済政策である、「楽市楽座」を許可した一つの地も守山でした。豊臣秀吉は街道を整備し、守山宿という宿場を育成させます。江戸時代には、その守山宿が京都からの出発者の主な宿場地とされ、大きな発展を遂げます。明治時代、現在の守山地域に廃藩置県などの歴史的政策がなされ、明治22年(1889年)、市町村制施行により、現在の守山地域に多数の町村が誕生しました。その後これらの町村は合併を繰り返す歴史をたどり、昭和45年(1970年)、現在の守山市が誕生します。歴史的には農業地域だった守山ですが、工場誘致を積極的に行い、農業地域から工業都市への歴史をたどっていきます。日本の橋梁技術の歴史的にも有名な琵琶湖大橋の開通も、守山市の発展に歴史的な寄与をしました。現在では、工業都市としてだけでなく、近畿地域の重要なベッドタウンとしても、大きな発展の歴史をたどっており、日本の人口が総体的に伸び悩みもしくは減少という歴史をたどろうとしている今の時代にも、市の人口を大幅に伸ばしてきたのが守山市の近年の歴史です。守山市の人口増加率は、つい最近まで全国の市の中でもトップクラスにありました。このように、守山市・守山地域の歴史は、常に日本の中でも重要な歴史的位置を示していることがわかります。一地方都市というところにとどまらず、法隆寺・源頼朝・織田信長・豊臣秀吉といった、歴史的人物や歴史的文化のゆかりの地としても、守山は存在感を示しており、明治時代以降現代までの近現代の歴史をみても、有名な企業の工場の誘致や、近畿地方を代表する衛星都市として、守山市が全国的に一目置かれています。
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