三潴郡大木町の襖(ふすま)の張替え修理に
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■鳥の子襖紙の種類
新鳥の子(普及品) |
上新鳥の子(中級品) |
鳥の子(高級品) |
手漉き本鳥の子(最高級品) |
平安時代からある襖は、長い年月使われてきた日本固有の建具です。この建具の魅力は、ふすま紙に様々な柄を描く事で、和室に輝きを与えてくれる点でしょう。襖の張替え修理は、主にふすま紙を取り外して、新しいふすま紙に変えるというものです。しかし、ダンボール芯ふすまや発泡スチロールふすまといったコストが易く、生産性が良い製品が出てきた事で、襖の張替え修理の施工方法にも変化が出てきています。ダンボール芯ふすまや発泡スチロールふすまは、古いふすま紙の上から新しいふすま紙を貼っていくという方法が行えるようになっています。手軽に張替え修理が出来るようになりましたが、シミや反りなどが起こるといった事もあります。コストダウン出来るというメリットがある一方で、ふすま紙にシミや反りが出来るというデメリットも生じてくる事は常に考えておかなければいけません。
襖の張替え修理を行うと、襖を長持ちさせる事が出来ます。穴が開いたままであったり、湿気で反り返ってしまったりすると、和室全体がどんよりと暗い雰囲気になってしまうので、定期的な張替え修理を行っておく事が、和室の快適さを維持する効果があります。印刷技術の向上とパソコンを使ったデザインによって、今までにはなかったタイプのふすま紙を生み出せる時代になりました。モダンで先進性を感じさせる絵柄のふすま紙を使う事で、襖を長持ちさせるだけでなく、デザイン的にも見違えります。
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三潴郡大木町は、福岡県南西部の位置する人口約13,700人の町であり、鳥類の中でも脳が発達つしているとされる天然記念物「カササギ」の生息地としても有名な町です。
三潴郡大木町は、平安時代後期の藤原北家閑院流徳大寺実能を家祖とする徳大寺家の荘園があった地域であり、平安時代944年には三潴郡内には五三社があったとされています。三潴郡大木町には、事代主神・春日大神・住吉大神・八幡大神・高良玉垂命を祭神とする「三島神社」や住吉大神・息長足姫命(神功皇后)を祭神とする創建878年の「広門神社」に加え、武内宿禰・住吉大神・譽田別命
(応神天皇)を祭神とする「高良玉垂命神社」や雷神玉依姫命を祭神とする「大雷神社」など40を超える神社がある地域です。
三潴郡大木町は、戦国時代には筑後宇都宮氏の流れを汲む大木氏の領地であった地域であり、昭和30年に大溝村・木佐木村・大莞村の3村が合併して誕生した町です。
三潴郡大木町は、海抜5m以下の葦が生い茂る湿地帯が広がっていた事から平安時代にはクリークと呼ばれる水路が町域の15%以上を占めていたとされ、現在では特に南筑平野でもクリークの占有面積が大きかった独特の農耕文化を保存伝承していくために「クリークの里・石丸山公園」が整備されています。クリークの里・石丸山公園は、南筑平野の農耕文化遺産を維持整備しているだけでなくクリークに生息する野鳥や魚、昆虫などに触れられる自然観察園であり、春には桜が咲き乱れるとともに梅雨時には紫陽花が咲き乱れるなど四季折々の景観も堪能できる公園です。
三潴郡大木町は、戦国時代に豊後国を本拠地として筑後国を領有した大友氏の幕下「筑後十五城」の旗頭の大名分に出世した蒲池氏の領地であり、天神大牟田線の西側の大木町立大溝小学校と大木町立大木中学校と県道710号線に囲まれる地域に蒲池氏の別館「横溝城」がありました。
三潴郡大木町は、江戸時代には秀吉の甥の羽柴秀次の宿老であった田中吉政によって現在の国道23号線となっている久留米と柳川を結ぶ田中街道が整備され、田中街道筋を免税地とした事から住吉神社境内に田中吉政を偲ぶ祠が残されています。