襖ふすま

東淀川区内スピード対応!!

 大阪市東淀川区の襖の張替えは、大阪圏最安値の当店で!!

 襖ふすま紙には鳥の子と織物系とがあります。
鳥の子の場合、原料や製紙方法や模様付けや印刷・加工方法によって
普及品から最高級品まで非常に幅広く揃っています。

襖の張替え只今キャンペーン中!!

襖紙には、手漉きの和紙から機械漉きの普及タイプまで非常に多くの種類が
揃っています。
また織物系のふすま紙もあり、織糸の種類や撚糸の数さらに印刷やの後加工の
方法により高級なものから普及タイプまで多くの種類が揃っています。
織物系襖紙
それぞれの価格については、お気軽にお問い合わせ下さい。
※サイズは幅90cm×高さ180cmが 基準です。
これ以上のサイズはお問い合わせ
下さい。ご注文は2枚からお願いします





                                                      
クリック>>襖ふすまの種類

                 お問い合わせメールフォーム

 無料お見積りはこちらメールは24時間受付
0800-123-6941


襖ふすま紙について

■鳥の子襖紙の種類

新鳥の子襖紙

新鳥の子(普及品)

パルプ紙で漉きも柄付けも機械なので、
価格もリーズナブルです。
種類も多く揃ったお求め易い商品です。
  
襖ふすま紙

上新鳥の子(中級品)

上新鳥の子は機械漉きのため比較的低価格です。漉き模様や後加工による多くの柄や材質があり、種類については一番ボリュームがあります。

鳥の子襖紙

鳥の子(高級品)

本鳥の子が手漉きで作られるのに比べ、鳥の子は機械で漉きます。さまざまな技術によって紙の風合いも、手漉きに近いものが出来ます。

手漉き本鳥の子襖紙

手漉き本鳥の子(最高級品)

本来は手漉きの雁皮紙をさします。
その色合いが鶏卵の殻の 淡黄色に似ているところから鳥の子と呼ばれました。
現在は雁皮や三椏、木材パルプ等を混ぜたものもあります。

(画像はイメージです)         雁皮(ガンピ)の花
和紙襖の原料がんぴの花

雁皮紙(がんぴし)は、ジンチョウゲ科の植物である雁皮から作られる和紙です。

雁皮の成育は遅く栽培が難しいため、雁皮紙には野生のものの樹皮が用いられます。古代では斐紙や肥紙と呼ばれ、その美しさと風格から紙の王と評される事もありました。
繊維は細く短いので緻密で緊密な紙となり、紙肌は滑らかで、赤クリームの自然色(鳥の子色)と独特の好ましい光沢を有しています。
丈夫で虫の害にも強いので、古来、貴重な文書や金札に用いられました。日本の羊皮紙と呼ばれることもある様です。

引き手

引き手は、開け閉めの際の襖紙の傷みと汚れ防止の役目があります。
引き手は、手加工の貴金属や陶器の
ものからプラステック製の廉価なものまで多種多様に揃っています。

引き手 引き手引き手引き手引き手 陶器製 引き手引き手引き手

襖(ふすま)は、中国から伝わった障子が寝殿の間仕切りとして使われるようになり、
中国から伝来の、隠蔽性の高い厚手の唐紙が使われるようになり、貴族社会に普及して行きました。
平安時代の貴族達の住宅様式は、部屋の中に仕切りを作らず、通気性を優先した
寝殿造りと言われるものでした。
今で言うパーティションとして、屏風などを使用していました。
やがて屏風などに代わるものとして、障子が中国から入ってきました。
 そして寝所に使われる障子を衾(ふすま)と呼ぶようになりました。
当時寝所のことを「臥す間(ふすま)」と呼んでいました。
 「衾(ふすま)」は元来「ふとん、寝具」を意味するものであった為です。
襖の語源は衣服のあわせから来ています。衾(ふすま)も最初は板状の衝立の両面に
絹裂地を張りつけたものだったので、衣服にならって襖(ふすま)と呼ぶ様になりました。
初期の形状は、かまちに縦桟や横桟を組み両面から絹布などを貼ったものでしたが、
やがて中国から伝わった厚口の紙(唐紙)が襖に使われるようになり、襖と障子が明確に分かれて行きました。その為、襖のことを唐紙と呼ぶことがあります。  
また、障子は明障子(あかりしょうじ)と呼び分けられる事もあります。
 武士の時代になり、襖に絵を描き華やかな部屋を演出するようになって行きました。
そして今に残る数々の襖絵が描かれ有名絵師が登場しました。
そして江戸時代になり、豪商たちが襖を使うように成り、少しづつ一般の庶民にに広がって行きました。

 無料お見積りはこちらメールは24時間受付
0800-123-6941

■襖は日本の美しい伝統技術で再確認する襖の素晴らしさ

いくら世の中の変化がめざましいといっても、襖と関わりをもっていない日本人はいないといえます。それほど襖は日本人の生活と深い関わりをもっています。しかし、その襖について考えてみる日本人は少ないです。あまりにも身近にありすぎて、日本人の生活に溶け込んでしまっているからです。襖は、座敷の世界に独特の空間や味わいを生み出します。造形の美しさが部屋に落ち着きや格式を与えます。
職人が丹精を込めて入念に造り上げられた襖には、技術の集積や製作者の造形へのあざやかな手運びといったもの、あるいは座敷としての味わいや美しさを感じられずにはいられません。襖には、空間に独特の粋を作り出す表現の豊かさがあり、出来映えの妙をみせてくれます。襖はあまりにも身近になりすぎて、無意識になっているのが実情です。伝統や造形への創意工夫を集積してきた襖の技術の妙があるのです。
襖は日本人の生活習慣のなかで、普段は目立たない存在でありながら、軽視することのできないものです。襖のある座敷から生活作法が生まれて、茶道は育まれ、社会的な秩序を形成する土壌にもなったのです。襖のある空間のひろがりは、造作の丹念さや柄の妙など、その技術そのものから生じているといえます。そのような意味でも伝統を重ねてきた襖の技術の見直しは、古くて新しいテーマといえます。
襖の素晴らしさを探ることや、長年にわたって集積してきた伝統技術の妙技を新しい時代に生かしていくことが、今後ますます必要になります。座敷のもつ安らぎ感や落ち着き、静かな佇まいといったものが、襖の存在と切り離して考えることはできません。襖のある座敷の味わいや美しさを知り、日本住宅における素晴らしさを再認識し、より良い座敷への欲求思考が高まることは、日本人にとって素敵なことです。
襖が単なる住宅部品ではなく、より良い座敷空間を作り出すための座敷造形です。襖という日本独特の造形は、日本人の生活の知恵によって生み出された傑作といえます。襖の伝統性や気候風土との適応性、そして生活への結びつきといったものを考えてみると、襖という日本独特の造形を表現するには、そのような言葉がぴったりと当てはまります。今こそ再び襖の魅力を再確認することが、グローバル社会だからこそ大切になってきます。

 無料お見積りはこちらメールは24時間受付
0800-123-6941

畳と襖の調和と建築に対しての襖などの関係性

襖の起源を追うと、最も原始的な形式は開口部を必要に応じて塞ぐことのできるものです。そして屋内の空間を仕切って部屋を作るためには土壁以外に、仮設的で可動的な壁が誕生したのです。そしてそれを開いて出入りができ、また必要に応じて全部取り外し屋内を広く使用することもできるのです。こうした関係から襖は、建築に対して構造的関係はもたないのです。これは畳と共通する点があります。
それは畳が古く円座、菰にはじまって、置き畳へと推移していく過程と襖が共通するのです。つまり源氏物語絵巻などに見る当時の住宅にあっては、畳は高貴の人、あるいは見上の人に対する高座として敷く置き畳として、板敷きの床に一部敷かれていたのです。現在の座布団に相当する役割から進化、発展してきた流れをみると、畳も襖同様に、当時は建築に対して構造的関係はもっていなかったといえます。
襖と同列の屋内空間を装飾装備する道具として、共通的な立場にあったといえます。畳や襖に関しては、置き畳などの敷きつめる段階に入り、近年は住宅産業下における一部勢力となりながらも、住宅建築に関し建築士もしくは大工の多くは畳や襖の制作に関して、畳業者や襖業者に一任し、建築生産の一環として、畳や襖をとらえようとしています。昔は襖の制作に関しては、経師と呼ばれる表具師にその制作が一任されていたのです。
それは襖が建築に対して、構造的関係をもたないからだということは先にも述べましたが、畳についても江戸時代をはじめとした武家社会、あるいはそれ以前の貴族社会にあって畳刺、畳師として、その技術が重宝がられ、時代の推移する昨今にあっても畳、襖、あるいは表具の世界は技術がしっかりと温存され、伝統性の一面を見せています。畳と襖は、日本建築の内部構造、近年ではインテリアを作り出すものという考えもあります。
そして畳と襖は、その歴史に共通性を多く残しており、日本の住宅建築の平面と立体を構成する主力要素として現在の存在価値を高めています。またその調和システムに日本在来住宅の特徴があると言わしめるまでに成長してきているのです。近年における畳と襖がその伝統性を脱却して、建築生産の一環として徐々にではありますが、その立場を見直される傾向は、日本住宅建築の多様化も関係しています。


大阪市東淀川区で社会科見学を

ここ最近、子供と社会科見学に出かける家族が増えています。ブームのようになっており、対応する企業も結構増えてきました。大阪府大阪市には、親子で見学できる工場がたくさんあります。大阪市北区では硬貨の製造過程を見ることができる施設があり、非常に人気です。他にもテレビ局や新聞社なども見学でき、大阪市北区は社会科見学に適したエリアと言われています。しかし、他の区も負けていません。大阪市東淀川区には、水道について学べる施設があります。東淀川区はそれほど知名度が高くありません。しかし、この施設を目当てに東淀川区には多くの親子連れがやって来ます。水道のことを学ぶと言っても、魚などを見ることもでき、ちょっとした水族館気分が味わえます。東淀川区を代表するスポットですが、無料で入館できるのは親からしたらありがたいでしょう。子供の教育にも良いし、お金もかからないので一石二鳥と言えます。また、大阪市内には大阪城公園を筆頭に、桜の名所と言われるところが数多く存在します。東淀川区にも柴島浄水場と言うところがあり、桜の名所として名高いです。柴島浄水場の目の前には電車が走っていますが、電車内からも桜を楽しむことができます。

大阪市東淀川区は大阪市24区のうち3つ目に人口が多い地域です。その理由は団地が何十棟もあり、この付近ではベッドタウンになっています。人口は175631人になります。隣接する区は淀川区や北区、都島区や吹田市や摂津市、守口市と他の地域にもアクセスしやすい場所です。そのため店舗もいくつもあり大阪市東淀川区民にとって生活しやすいです。淀川に面しています。そのためいくつもの橋が大小あります。河川敷にある公園やテニスコートや野球場など大阪市東淀川区民の憩いの場でもあります。他にもゴルフができる場所もあります。お店もホームセンターやショッピング街もあり生活する際には利用がしやすいです。そして鉄道やバスもいくつも通っているので新大阪駅や大阪駅に向かう路線もあり通勤や通学もしやすいです。また人口が多いため小学校や中学校も多いです。その他にも高等学校や大学た短大学、特別支援学校などの教育機関もあり、大阪市東淀川区に通う学生さんもいます。他にも職業能力開発校もや東淀川図書館もあり充実した環境下になります。そのため大阪市東淀川区出身の人物もいて歌手や野球選手や政治家や女優など幅広く活躍している方を排出しています。

お問い合わせフォームは24時間受付です。0800-123-6941

「何故そんなに安いの?」
 良く聞かれます。
「安物の畳表(たたみおもて)や
襖(ふすま)紙じゃない」
いいえ、材料の問題では有りません。
 職人さんの手間賃と配送工事費用を
ギリギリまで圧縮する事で、値段は
下がるのです。
 もちろん大量仕入れにより材料費の大幅な圧縮もしています。
しかし決して手抜きは致しません。
 質の良いものを安くして、初めて激安の意味があります。
 とにかく、現物見本を見て下さい。
 大阪の襖の見積もりお電話1本で、駆けつけます。 お見積もり無料 出張料も要りません

  アフターケアもご安心下さい。

大阪市東淀川区迅速にお見積もりさせて頂きます。
お気軽にお問い合わせ下さい

施工可能地域

大阪市内全域にお伺いします。

大阪市東淀川区 B様邸
襖張り換え

大阪市東淀川区 Y様邸
襖の張替え 

大阪市東淀川区 N様邸
襖の張替え工事

大阪市東淀川区 F様邸
襖張替え、畳表替施工 事例

大阪市東淀川区 I様邸
襖張替え、畳表替え工事

大阪府大阪市について

大阪市は、大阪府の県庁所在地であり、近畿地方最大の都市として政令指定都市にも指定されています。また、大阪市は古くから国際的な港を持つ港湾都市としても有名で、瀬戸内海と京を繋ぐ水運の中心となるなど、西日本の物流を担うという大切な働きをしています。大阪市は近畿地方における行政・経済・文化などの中心となっており、この辺りの地域を中心にして大阪都市圏と京阪神大都市圏が形成されています。大阪市の西部は大阪湾に接していて、沿岸北西部にかけて阪神工業地帯が広がっており、その市内総生産は政令指定都市の中でも最大であり、埼玉県や北海道などの県内総生産さえも上回っています。大阪市内の従業員数や事業者数などは、東京23区に次いで日本で二番目に高いという特徴があります。また、大阪市の昼間人口は東京23区に次いで全国2位、夜間人口は横浜市に次いで全国2位、人口密度は全国5位という非常に人の多い市です。大阪市は年間を通して温暖な気候であり、夏の暑さは全国的にも厳しいため、暑い季節では猛暑日になることや熱帯夜が続くという場合もよくあるのです。全国の都道府県庁所在地の中では8月の平均気温が最も高く、さらに近年は都市化によるヒートアイランド減少の影響で、熱帯夜の増加や寒い日が減少してきています。冬は瀬戸内海からの季節風の影響により小雪が降ることもあり、東京に比べて日照時間やすっきりとした快晴の日などは少ないのですが、晴天日数自体は比較的多いとされています。大阪市の降雪日数は平均的ですが、積雪日数は本土で最も少なく、冬型による降雪でも積雪には至らないという場合がほとんどです。古くから港湾都市として栄えた大阪市は、古代の首都として難波京などの都城も作られました。江戸時代には天領となり、天下の台所と呼ばれていたことから分かるように、経済や交通・商業の中心地として発展していきました。そして、明治時代には、繊維工業を中心とした工業都市として発展していき、戦後も長らく経済面において東京をリードしていましたが、有名な商店の本社などは次第に東京へと移転するようになりました。第二次世界大戦後には、重化学工業の比率が高まるようになり、卸売業などの商業活動も活発になったことから、市内各所に問屋街が発達しました。2012年には、総合的な世界都市ランキングにて第47位の都市と評価されており、日本国内では東京に次いで第2位となっています。