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柏原の畳たたみの表替えと新調は、
業界高水準の品質と関西圏最安値の当店で!!

ただ今キャンペーンセール中につき 畳の表替えも仰天の激安価格!
畳表替えは畳表(ゴザ)と縁(ヘリ)を新しいものと張替えます。
価格には、材料代・施工費・配送料などの費用も含まれています。
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国産畳表(肥後表)も大特価中です!!

■畳の表替えを只今、キャンペーン価格でお届けしています。
  家具や道具の移動もお任せ下さい。無料です。

 

弊社では、輸入畳表もISO9001、ISO14001取得工場で製造されたものを使用しています。

ISOとは、International Organization for Standardization(国際標準化機構)の略称で、国際的な標準を定める機関です
この機関が定めているのが、ISO規格です。
これに沿って会社内にシステムを構築して、ISO審査機関の厳しい審査によって認証されて、ISO取得を謳えます。
●主なものにISO9001があり品質マネジメントシステムとも呼ばれ
お客様に品質の良い品物やサービスを提供すること、
つまり顧客満足度を大きな目的としています。 
●次にISO14001があり、これは環境マネジメントシステムとも呼ばれ、会社が在る地域社会の環境に悪影響を与えないようにすること、つまり環境保全を目的とした重要な規格と言えます。

床の間用畳表(竜鬢リュウビン)について クリックして下さい

■畳たたみのサイズ

●五八間(ごはちま)(江戸間、関東間とも言う)が基準です。
5尺8寸×2尺9寸  (1760mm×880mm)1間を6尺で計算しています。

●本間間(ほんけんま)京間(きょうま)関西間(かんさいま)
3尺1寸5分×6尺3寸(955mm×1910mm)1間を6尺3寸で計算します。その結果五八間より大きく成っています。かって近畿地方以西で多く使われていました。

●三六間(さぶろくま)中京間(ちゅうきょうま)
3尺×6尺(900mm×1800mm)     など他にも幾種類かあります。

それぞれ最大の寸法です。

 ■畳たたみの張替え方法

畳替たたみかえには、下記の様な方法があります。
畳たたみの状態に応じて最適な方法をご提案させて頂きます。

■畳の裏返し

裏返しについてよくお客様に聞かれるのですが、畳自体を裏向きにひっくり返して引き直す。 これは間違いで。
畳表(表面に縫い付けているゴザ)を裏返して畳床(畳の土台)に再
縫い付けます。畳縁(たたみべり)は新品を使います。このときに強いテンション(引っ張る力)が掛かります。

畳替えから3~5年を目途にして下さい。
但し、日当たりの良い場所や飲物など液体などを溢している場合は
裏まで焼けていたり、シミに成っている場合があります。
また、イ草を束ねている縦糸は年数が経っていると劣化して再び縫い付ける時に、切れる場合があります。

■畳表替え(たたみおもてがえ)

表替え裏返しから3~5年程度で、畳表(たたみおもて)を新しいものに交換することをお勧めします。また張り替えて8年~10年を越えている場合は、畳の表替えをお勧めします。畳縁(タタミヘリ)も新しいものに張替えます。

■新調(新畳しんたたみ)

土台の畳床が補修では間に合わない場合は、新畳つまり新しい畳を作りましょう。畳床(たたみとこ)、畳表(たたみおもて)、畳縁(たたみべり)を全て新しいものにします。

  

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0800-123-6941

■畳表(たたみおもて)について

畳表とは、い草のくきを乾燥させ泥染めをして織りあげた茣蓙(ゴザ)です。
丸い草を使用したものに、経糸に麻糸や綿糸を使い織り上げます。一目の中に経糸2本
ずつを織り込んだ諸目(もろめ)表と言われる織り方で綿2芯、麻2芯綿麻4芯麻4芯などがあります。
最近人気の縁無し畳には、一目に経糸を1本ずつ織り込み目積(めせき)表と言う織り方のものが利用されます。同じ縁無しでも琉球表は、七島い草と言い断面が三角形のものを使い、泥染めをせずに織られるものを言います。
畳表は年月が経つと擦り切れるため、業界では3年~5年に1度を目安に、畳表の裏返しや、表替えをお勧めしています。
畳表は、い草の他に合成繊維や和紙を織った畳表や合成樹脂の表面に畳の目を型押ししたシート状の畳表等もあります。

■い草の泥染めについて

い草は、収穫されてから‘泥染め’と言う工程を経ます。
これにより、熱の吸収作用を良くして乾燥速度を速めます。
するとい草の酸化酵素の働きが鈍くなり、葉緑素の分解が抑制される為、
い草の色彩が良くなると共に光による色あせも鈍くします。
それと同時にい草の表面を泥で覆う事により、水分の蒸発もゆっくりと成りますので、
い草の表面が乾燥により急激に萎縮する事を防ぎ、変色を防ぐ事にも成ります。
畳表になった時のい草の色目は、い草固有の色に泥染めによる色が加わったものです。新しい畳表特有の良い香りは、泥染めをして貯蔵中に化学反応を起こして生まれます。この泥染めをしないと、い草も単に普通の干草と同じ様な匂いのままです。

泥染めに使われる土は、岡山、広島や淡路島で取れるものが使われることが多く、
それぞれに特色があります。
いずれにしても、い草を畳表に仕上げる過程で、泥染めは欠かせない工程です。

※色目の悪い、イ草を化学染料等で着色した、悪質な表とはまったく異質なものですので念の為。

■縁(へり)

畳縁には、デザインが美しい洋柄・日本古来の季節を感じさせる趣のある和柄、繊細な織り柄など、多種多様な柄があります。畳縁で部屋の雰囲気が大きく変わりますので、現在では部屋の用途ごとに縁を変える住宅も増えています。四季のお花を織り込んだ縁は、洋風の部屋にも馴染み、優しく落ち着いた雰囲気にしてくれます。自然素材を大事にされて、あまり華美でなく落ち着いた和室をお好みの方には、無地の織りの物。また、子ども部屋や、教育施設などには、動物柄や明るい色彩の物が選ばれます。
畳縁は、畳床を畳表で包むときに、長手方向には畳表を巻きつけて裏側で畳床に縫いつけますが、横方向は、畳床の幅に合わせて畳表を切り揃えてしまうので、切り放しのままでは、畳表が固定されないので、畳縁で切り口を隠すと同時に畳床に縫いつけて止めます。こうして、畳縁があることによって、和室の雰囲気を変える役目と畳表の強度をより強くする役割と、畳表の角の摩耗を防止する役目があります。最近では縁なし畳を選ばれる方もいらっしゃいますが、やはり多くの方は畳縁のある畳を選ばれます。
畳縁の歴史は古くからあり、昔は身分等によって利用できるという制限がありました。平安時代には、今ある畳の形がベッドとして使用されていました。この頃の畳の縁は、大変高級品で、身分によって絹や麻など使用できる繊維やが決まっていました。また、宮廷・公家・武家・商家などの紋も決まっていました。よく、昔から「畳の縁を踏んではいけない」という教えがあり、家紋の入った畳縁を踏むことは、ご先祖様や親の顔を踏む事と同じなのだという、武家の教えや商家の心得でした。
先日、我が家の畳も10年で、ずいぶん痛みささくれ立ったイグサがちくちくするので、畳の表替えをしました。その時に畳業者の方が、畳縁のサンプルをいくつも出して下さいました。畳縁はまるで着物の帯の様に美しく、どれにしようかと迷いました。迷って私が選んだ物は、とても美しい和柄で、桜の様に淡いピンクと淡いグリーンと薄い黄色のもみじが散りばめられた畳縁でした。少し派手かなと思いましたら、畳業者の方は、「これは料亭などに実際使われた畳縁で品があって、素敵ですよ」と言って下さいました。出来上がった畳と畳縁は和室をくつろげる優美な空間にしてくれました。
現在では、この色とりどりでデザインも豊富な畳縁が、畳に使用するだけでは、もったいないので、さまざまな物に使われています。たとえば、縁だけを購入し、手作りバックのワンポイントに取り入れることで、デザイン性豊かな自分だけのバックが出来ます。また、コースターや、畳縁のストラップなどもあり、多種多様な商品に加工されています。日本人の繊細な心を織物にして一般家庭でも楽しめる物に加工した畳縁を大事にして、ぜひ畳の表替えをされる時は、好みにあった物を選ぶ事をおすすめします。

今から半年ほど前のことになりますが、畳の専門店に和室のたたみの交換をお願いしました。前回たたみの交換をしたのはいつであったか覚えていないほど前のことであったため、畳業者にまったく心当たりがありませんでした。
それでインターネットを利用して畳の専門業者を探してみたところ、私が生活をしている地域にも対応をしているところがたくさんあったのでその中の一つの業者にたたみ交換の見積もりをしてほしいと依頼をしたのです。すると、その日のうちに来てくれてとても助かりました。
こんなにとんとん拍子に事が進むとは思っていなかったのですが、早いに越したことはなかったのでうれしかったです。 たたみ交換の見積もりの日、畳の業者の人は時間ぴったりに来てくれてすぐに見積もり作業に入ってくれました。
たたみ交換をするにあたりたくさんのお金を準備することができなかったのですが、思ったよりもずっと安くで依頼ができることがわかりほっとしました。また畳業者の人がおすすめのたたみについてアドバイスをしてくれたので、心強かったです。
今回の畳業者の人がとても良い人であったので、また次回もこの畳業者に依頼をしたいと思っています。たたみを交換したことでさらに快適な家にすることができたため、本当に良かったです。家族もとても喜んでいます。


                 

             (画像はイメージです)  

クリック>>畳たたみの構造

クリック>>縁無し半帖畳(琉球畳)

クリック>>非常に強く、変色し難い 和紙の畳表                     と樹脂製の畳表

クリック>>イ草についてのお話

飛鳥の時の歴史を物語る柏原の史跡と柏原自慢の伝統の食事を楽しむ

奈良盆地の南東部にある柏原市。盆地特有の内陸性の気候で、夏が暑く冬は寒い特徴があります。古代の大和国の地であるため、歴史的に価値の高い史跡が多く残る観光都市です。柏原市の歴史は大変古くまで遡ることができ、飛鳥時代には、聖徳太子もこの地を訪れたという言い伝えもあります。柏原は、694年に日本最初の都城となった藤原京が造営された土地でもあります。都が平城京に移転するまでの16年間は、柏原に存続したといわれています。
戦国時代になると柏原の今井町が一向宗の布教の拠点として都市化が進みました。織田信長軍との戦がなされ、武装解除されたものの検断権を許されて自治都市として発展した柏原は、「海の堺、陸の今井」と称されたほどです。幕末からは柏原は神武天皇が建国した地として注目されるようになりました。畝傍陵が造営されるようになり、明治時代には、橿原神宮も創建されました。大正を経て、昭和の高度経済成長を迎えた柏原は、大阪市や京都市、奈良市などの大都市のベッドタウンとして人口が急増しました。
長い歴史が残る柏原には、橿原市藤原京資料室や、橿原市こども科学館、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館など、歴史を学ぶことができる資料館や博物館が多くあります。神武天皇陵や安寧天皇陵と御陵も残り、歴史好きな人は一度は訪れたい観光地としても柏原は有名です。また益田岩船という不思議な石が残る場所として謎めいたスポットも人気です。柏原南部にある石造物のひとつで、高さが約4.7メートル、東西11メートル、南北約8メートルと日本最大の大きさを誇る花崗岩による石造物です。その用途にはいろいろな説が残り、ミステリアスな名所となっています。
柏原には豊かな自然も残ります。万葉の歌人は「大和三山」といい畝傍山、耳成山、香具山を愛しました。耳成山は円錐形の山容が美しい山です。名前の由来は山裾がない真ん丸い山ということから耳成山と名づけられたといわれ、柏原市山之坊町に位置します。麓にはかつて口無しの井戸、目隠し川があったと地元ではいわれています。南麓には、桜シーズンには見事な花を咲かせる耳成山公園があり、花見スポットとしても人気です。耳成山には登山道があり、登山客も多く訪れます。畝傍山は柏原畝傍町外にあり、標高199mの山です。
柏原の名物料理といえば、古くから伝わる柿の葉寿司です。奈良県全域のソウルフードとしても有名で、その名のとおり柿の葉っぱで寿司を包んだ郷土料理です。旅路に持つお弁当としても愛されています。柿の葉の香りが酢飯を優しく包み込み、食欲をそそる味わいです。また牛乳をベースとした飛鳥鍋も有名です。飛鳥時代に唐の渡来人のお坊さんが寒さをしのぐ為にヤギの乳で鍋料理をつくったことが飛鳥鍋の始まりとされています。近年では橿原名物スタミナラーメンも人気です。

大阪府柏原市を紹介致します。柏原市は南河内地方にあり奈良県との境界には生駒山地が連なります。南側には金剛山系が連なります。中心部はなだらな平地が広がります。隣接するのは八尾市と藤井寺市と羽曳野市と奈良県側にあります。柏原市はぶどう栽培が盛んで大阪府有数のワインの製造地として知られています。香り豊かで味がよいと評判で河内ワインの名前で知られています。柏原市内には多くのぶどう栽培が盛んな事から、ぶどうの狩りとワイナリーの見学が人気があります。柏原市民だけではなく近隣からも多くの人が訪れ人気です。ワイナリーは試飲も出来るので観光客に人気があるスポットです。また柏原市は大阪都心部と堺市の中心部に比較的に近いことからベッドタウンとして多くの住宅地があります。閑静で風情があり自然豊かな事から人気がある住宅地です。次に柏原市の観光名所と穴場スポットを紹介致します。柏原市と言えば、ぶどうの産地として有名で大阪府下の遠足や家族連れがシーズンにはぶどう狩りに訪れ人気です。ぶどうの品種も豊富で併設されている事が多いワイナリーの見学も人気があります。次に紹介するのは柏原市は遺跡や古墳が多く残されている事でも有名で多くの歴史ファンに人気があります。地名にも遺跡や古墳にちなんだものが多いです。
大阪府柏原市について
柏原市は大阪府平野の南東部、大阪府と奈良県の府県境に位置しています。大阪都心部から約20キロメートルの距離にあり、大阪市のベッドタウンです。柏原市全体の3分の2が山間部です。柏原市域北西部は比較的平坦で、北部は生駒山系から続く山がそびえ、南側は金剛山系に連なる山地となっています。1939年(昭和14)南河内郡柏原町、中河内郡堅上村・堅下村が合併、1956年(昭和31)南河内郡国分町と合併し、中河内郡柏原町が発足しました。1958年(昭和33)市制が施行し、柏原市が大阪府下で25番目に誕生しました。柏原市の人口は、男性33,889人・女性36,580人・合計70,469人で、世帯数は31,231世帯です。(平成29年4月30日現在)柏原市堅下地区では、ブドウ栽培の中心的役割を果たしています。このブドウを使った、河内ワイン・柏原ワインとして販売されています。夏から秋にかけて、ブドウ狩りが盛んに行われています。柏原市は浴衣生地の生産が、最盛期に全国シェア約25パーセントを占めていました。しかし、中国からの輸入で急激に減少し、現在では手掛ける業者が少なくなってしまいました。柏原市は古墳や遺跡が多く、高井田横穴群・玉手山横穴群は府内では柏原市でしか発見されていません。

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