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畳は畳床、畳表、縁の三つからできています。中心に畳床があり通常はワラを使っています。最近はこれ以外の材質のものも使われています。ワラは積み重ねて圧縮し均等に平らにします。ワラは柔軟性や温度を一定に保つ効果、湿気の放出や吸収に効果があります。表はイグサが使われ、麻の糸で織られます。イグサの質や種類、イグサの使われる量により畳の価格などが変わってきます。縁は布をつけ、畳の補強となり、柄や色などを選んで付ける事が出来ます。畳は断熱性と保湿性が優れています。湿気が多い季節では水分をため込み、乾燥の時期では放出して湿度を保ってくれます。また、二酸化炭素を吸い込む特性があるので、部屋の浄化作用もあるようです。畳を選ぶ際には中心の材料の確認やイグサの状態、家が木造なのかコンクリートなのかで適したものが変わってきます。また、部屋の作りやイメージにより形も変える事が出来ます。大きさや形、厚さなどは地域差があります。現在ではあまり見かけませんが、昔は湿気を取るために畳干しの光景がよく見られました。今は住居事情もあるので表と裏に空気を通すだけでも効果はあります。畳は昔から延々と伝えられた日本文化になります。日本の生活や文化に適したものと言えます。
襖は木や和紙で作られているため、とても軽くて扱いやすいのですが、長く使っているとスムーズに開閉できなくなる場合があります。そんな時は、襖の業者さんに来てもらっても良いのですが、自分でもやれることがあるので、試してみましょう。まずは襖がはまっている溝を見て、ホコリや砂が溜まっていないかチェックしてみると良いです。意外ときれいにするだけで改善できたりもするため、掃除機をかける、ハケではくなどをしてみることをおすすめします。それでも襖の動きがいまいちなら、溝を指でなぞってみて、凹凸がないか、毛羽立ってはいないかを調べてみて、違和感があるならサンドペーパーで擦ってやります。コツとしては、目の粗いものから始めていき、最後に細かいので仕上げるときれいになります。ここまでやっても改善できないなら、最後は襖を外して歪んでないのかを確認してみると良いでしょう。どちらかに傾いているなら、反対側から金づちなどで軽く叩いてやれば直ります。ただし、中には分解したり外枠を削るといった作業をしてしまう人もいますが、失敗すると取り替えがつかないので、あまりおすすめできません。何よりも襖ではなく自宅の方に問題がある場合も考えられるので、その場合は職人さんを呼ぶのが無難です。
現代の家屋で、風通しを良くしていこうと思うと、昔の家が障子の開け締めだけで風通しをよく出来たのとは違って、工夫が必要です。ガラス窓やガラス戸は、密閉性が高いので暖房や冷房を入れた時には快適に過ごせますが、使わない場合には風通しが全くありません。その為、セットで網戸が用意されている事が大半です。
網戸は、日光や雨風に触れる事が多いので、固定しているゴムや網戸のメッシュが劣化してきます。網戸の機能を維持するには、張替え修理を定期的に行うのが良いでしょう。昭和30年代から普及し始めた網戸は、それまで蚊帳が虫除けの役割を担っていました。アルミサッシが普及すると、ガラス戸やガラス窓が普及してきましたが、気密性が高い代わりに、風通しが悪くなりました。網戸の導入によって、張替え修理を定期的に行わなければいけませんが、張替え修理を行えば、メッシュの機能を取り戻せるので、網戸は経済的で効率的な建具と言えます。
張替え修理時には、メッシュの目の細かさを選べます。メッシュの目が細かくなると、大きさに関わらず、どのような細かな虫も通さなくなり、外から室内が透けて見えるといった事も起こりにくくなります。張替え修理は、網戸の使い方を見直す良い機会です。
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福岡県の中央部に位置する田川市は筑豊地方を構成する自治体のひとつで、飯塚市や直方市と並んで筑豊三都に挙げられるなど筑豊の中核都市です。田川市自体は北九州都市圏の一部に属していますが、同時に田川郡に所属する自治体とともに田川都市圏を独自に形成しています。歴史的には1900年に三井田川鉱業所が設立されると各地から居住者が集まるなど、炭鉱が市の経済の中心でした。官営の八幡製鐵所に近いという地理条件から石炭の需要は多く、筑豊地方の炭鉱は賑わっていましたが特に田川市は筑豊の中でも最大の炭都として人口は10万人を突破していました。現在でも盆踊りの楽曲として広く親しまれている「炭坑節」はこの田川市が発祥の地とされています。元々は炭鉱労働者が歌っていたものが戦前に東京で流行して、多少節回しを変化させながらもレコードに吹き込まれて全国に広まりました。しかし戦後の1960年代、エネルギー革命によって燃料の主役が石炭から石油に転換されると筑豊は一気に衰退していきました。現在は炭鉱跡地に田川市石炭・歴史博物館が整備されており、筑豊の石炭産業に関する資料が展示されています。博物館前には炭坑節発祥の地を示す記念碑も建てられています。