鹿島市の襖(ふすま)の張替えにスピーディーに対応!!
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■鳥の子襖紙の種類
新鳥の子(普及品) |
上新鳥の子(中級品) |
鳥の子(高級品) |
手漉き本鳥の子(最高級品) |
襖はドアやガラス窓と違って紙と木でできています。これは安普請というわけではなく、木の持つ吸湿性を有効に活用するためのものなのです。土や石、ましてやプラスチックなどでは湿気の多い日本の住宅には向いていません。
襖はそうした湿度調節機能を持たせた家具といえます。そのため、湿度を吸収し、また発散するという工程を何度も何度も繰り返すため、経年劣化していくのです。いわば襖は消耗品であり、定期的に交換、整備しなければなりません。
こうした整備、交換には専門の職人さんがいます。紙と木でできた襖は一ミリの狂いで立て付けが悪くなってしまうだけでなく、湿度を吸ったり、出したりした状態を計算する必要がある高度な技術が不可欠です。そのため個人で行うのはお勧めできません。
襖はしっかりと専門家に依頼しましょう。目安としては、見た目には問題が無くとも5年たったら交換しておいたほうがいいと思われます。壊れるときはあっというまなので、客間なのは定期的に交換する必要があるでしょう。
襖は和室に必要不可欠で、デリケートな存在です。和室をしっかりと維持していく上で、壊れたときはもちろん、時間がたったときにもしっかりと襖の整備、交換をするようにしましょう。そうすることで、和室はさらに居心地のよいものとなります。
襖は、部屋を区切ったり、押入れの中の物を隠したりするのに役立ちます。襖には、これらの用途以外にも、襖紙が部屋の湿気を吸ってくれるという役割を持っています。特に押入れに使われている襖は、押し入れの中の湿気を取るのに有効です。襖紙が湿気を吸うと、次第に色が古びた感じになってきます。また、部屋の中に日光が入ってくる場合、直射日光によって、襖紙が日焼けしてしまう事があります。そのまま、放置していると部屋全体が沈んだ印象に感じられるので、襖の張替えを行って、襖紙を新品にしていくと元の状態に近づけられます。平安時代は屏風や几帳や衝立を使って、部屋を区切ったり、物を見えないようにしたりしていましたが、江戸時代になると武家などでも襖は使われるようになってきました。明治・大正時代には、庶民にも利用されるようになり、昭和時代になると襖は一般的に使われるようになりました。
襖には、本襖や戸襖や段ボール襖やチップボール襖があります。本襖は、昔から使われているタイプであり、襖内部の組み子の上に襖紙を何枚も重ねている構造です。戸襖は、洋室と和室を区切る為に使われている物です。マンションなどでも和室が設置されている事がありますが、そのようなタイプの部屋に採用されています。段ボール襖は、芯材が段ボールで出来ています。チップボール襖は段ボールの一種であるチップボールが入っている物です。段ボール襖とチップボール襖は、コストが安いのがメリットで、大量生産するのに向いています。
襖の張替えは、どのタイプの襖でも基本的に同じ施工方法です。建具店に張替えの依頼をすれば、襖に合った襖紙を提案してくれます。現代的なデザインの襖紙もあるので張替えをする時には、バリエーション豊富な襖紙から選べます。現代の張替え事情は昔とは変わってきており、壁紙のようにデザイン重視で選べるようになってきました。和室を新しい形に生まれ変わらせられます。
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鹿島市は東京から約110キロ、茨城県の南東部に位置しています。鹿島アントラーズのホームタウンとして全国にその名が知られています。 もともと、鹿島市は常陸国一宮である鹿島神宮の門前町として栄えた歴史を持ち、現在は鹿島港を中核とする鹿島臨海工業地帯を形成し、鉄鋼企業を中心とした工業都市となっています。また、鹿島市の東側には広く太平洋鹿島灘がひろがり、多くの海水浴場、海岸を、西に北浦、筑波山を望むことができます。 鹿島市内にある信仰、そして歴史的にも貴重な鹿島神宮本殿は、徳川より奉納されたもので、桃山時代の特徴でもある豪華で華やかな雰囲気を残しています。本殿、幣殿、拝殿、石の間が国の重要文化財の指定を受けたものです。また、背後の杉の木は樹齢約1200年と推定される神木になっています。境内のみどりの中でことさら目を引く朱色の楼門は、日本三大楼門のひとつに数えられるものです。 また、鹿島市の太平洋沿岸には、平井海水浴場、下津海水浴場などがあり、夏のあいだ、首都圏からの多くの海水浴客たちを楽しませています。この地は、ハマナスが自生する南限の場所としても知られており、角折海岸のヘッドランドにはハマナスの精と名付けられたブロンズ像もたっています。
茨城県鹿島市は県の南東部に位置する市です。平成7年に鹿島町が大野村を吸収合併した際に鹿嶋町に町名を変更し、その後市制施行を行い鹿島市となりました。この時に「島」を「嶋」に変更した理由は、同名の鹿島市が佐賀県に存在していたため、市内にある鹿嶋神社ににちなんだ「鹿嶋」の字を用いました。鹿島市は県内のほか4市とともにJリーグ創立時から加盟しているオリジナル10の1つ鹿島アントラーズのホームタウンとしても有名です。Jリーグ発足当時は1チーム1市区町村が原則でしたが、鹿島アントラーズに限り周辺市町村との広域ホームタウンが認められました。鹿島アントラーズのホームグランドは鹿島市にある県立カシマサッカースタジアムで、2002年の日韓ワールドカップでも使用された茨城県が所有しています。鹿島市とほか4市の全小学校を選手が訪問したり、毎年10月に開催される鹿島市の「鹿嶋まつり」や鹿嶋神宮の節分祭には選手やチームスタッフが一丸となり参加しています。鹿島アントラーズの練習場やクラブハウスも鹿島市に所属しています。クラブハウスにはクラブショップだけでなくアントラーズカフェというレストランもあり、食事をしながら観戦することができます。このように鹿島アントラーズと鹿島市は強いつながりをもっています。