襖ふすま

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1,450円

「お買得品」        

紙の柄につきましては、担当店に お聞き下さい
        襖の施工例

襖紙には、手漉きの和紙から機械漉きの普及タイプまで 非常に多くの種類が揃っています。 また織物系のふすま紙もあり、 織糸の種類や撚糸の数さらに 印刷やの後加工の 方法により高級なものから 普及タイプまで多くの種類が揃っています。 それぞれの価格については、 お気軽にお問い合わせ下さい。  ※サイズは幅90cm×高さ180cmが 基準です。 これ以上のサイズはお問い合わせ下さい。   尚、お安くしていますので、ご注文は1対つまり2枚から お願いします。 下地処理工程

                                                       クリック>>襖ふすまの種類                  お問い合わせメールフォーム

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襖ふすま紙について

■鳥の子襖紙の種類

新鳥の子襖紙

新鳥の子(普及品)

パルプ紙で漉きも柄付けも機械なので、 価格もリーズナブルです。 種類も多く揃ったお求め易い商品です。   
襖ふすま紙

上新鳥の子(中級品)

上新鳥の子は機械漉きのため 比較的低価格です。 漉き模様や後加工による 多くの柄や材質があり、 種類については 一番ボリュームがあります。
鳥の子襖紙

鳥の子(高級品)

本鳥の子が手漉きで作られるのに 比べ、鳥の子は機械で漉きます。 さまざまな技術によって 紙の風合いも、 手漉きに近いものが出来ます。
手漉き本鳥の子襖紙

手漉き本鳥の子(最高級品)

本来は手漉きの雁皮紙をさします。 その色合いが鶏卵の殻の  淡黄色に似ているところから 鳥の子と呼ばれました。 現在は雁皮や三椏、 木材パルプ等を 混ぜたものもあります。

(画像はイメージです)             雁皮紙(がんぴし)は、ジンチョウゲ科の 植物である雁皮から作られる和紙です。   雁皮の成育は遅く栽培が難しいため、 雁皮紙には野生のものの樹皮が用いられます。 古代では斐紙や肥紙と呼ばれ、 その美しさと風格から紙の 王と評される事もありました。 繊維は細く短いので緻密で緊密な紙となり、 紙肌は滑らかで、赤クリームの自然色 (鳥の子色)と独特の好ましい光沢を有しています。 丈夫で虫の害にも強いので、 古来、貴重な文書や金札に用いられました。 日本の羊皮紙と呼ばれることもある様です。

引き手
   引き手    引き手 

引き手は、開け閉めの際の襖紙の傷みと 汚れ防止の役目があります。 また、手加工の貴金属や陶器の ものからプラステック製の廉価なものまで 多種多様に揃っています。

 引き手 引き手 引き手 陶器製 引き手 
引き手 
 引き手 引き手
襖(ふすま)は、中国から伝わった障子が寝殿の間仕切りとして 使われるようになり、中国から伝来の、 隠蔽性の高い厚手の唐紙が使われるようになり、 貴族社会に普及して行きました。 平安時代の貴族達の住宅様式は、 部屋の中に仕切りを作らず、通気性を優先した 寝殿造りと言われるものでした。 今で言うパーティションとして、 屏風などを使用していました。 やがて屏風などに代わるものとして、 障子が中国から入ってきました。  そして寝所に使われる障子を衾(ふすま) と呼ぶようになりました。 当時寝所のことを「臥す間(ふすま)」 と呼んでいました。  「衾(ふすま)」は元来「ふとん、寝具」 を意味するものであった為です。 襖の語源は衣服のあわせから来ています。 衾(ふすま)も最初は板状の衝立の両面に 絹裂地を張りつけたものだったので、 衣服にならって襖(ふすま)と呼ぶ様になりました。 初期の形状は、かまちに縦桟や横桟を組み両面から 絹布などを貼ったものでしたが、 やがて中国から伝わった厚口の紙(唐紙)が 襖に使われるようになり、 襖と障子が明確に分かれて行きました。 その為、襖のことを唐紙と呼ぶことがあります。   また、障子は明障子(あかりしょうじ) と呼び分けられる事もあります。 武士の時代になり、襖に絵を描き華やかな部屋を 演出するようになって行きました。 そして今に残る数々の襖絵が描かれ 有名絵師が登場しました。 そして江戸時代になり、豪商たちが襖を使うように成り、 少しづつ一般の庶民にに広がって行きました。
■襖は日本の美しい伝統技術で再確認する襖の素晴らしさ   いくら世の中の変化がめざましいといっても、 襖と関わりをもっていない日本人はいないといえます。 それほど襖は日本人の生活と深い関わりをもっています。 しかし、その襖について考えてみる日本人は少ないです。 あまりにも身近にありすぎて、日本人の生活に溶け込んでしまっているからです。 襖は、座敷の世界に独特の空間や味わいを生み出します。 造形の美しさが部屋に落ち着きや格式を与えます。 職人が丹精を込めて入念に造り上げられた襖には、 技術の集積や製作者の造形へのあざやかな手運びといったもの、 あるいは座敷としての味わいや美しさを感じられずにはいられません。襖には、 空間に独特の粋を作り出す表現の豊かさがあり、出来映えの妙をみせてくれます。 襖はあまりにも身近になりすぎて、無意識になっているのが実情です。 伝統や造形への創意工夫を集積してきた襖の技術の妙があるのです。 襖は日本人の生活習慣のなかで、普段は目立たない存在でありながら、 軽視することのできないものです。襖のある座敷から生活作法が生まれて、 茶道は育まれ、社会的な秩序を形成する土壌にもなったのです。 襖のある空間のひろがりは、造作の丹念さや柄の妙など、 その技術そのものから生じているといえます。 そのような意味でも伝統を重ねてきた襖の技術の見直しは, 古くて新しいテーマといえます。 襖の素晴らしさを探ることや、長年にわたって集積してきた 伝統技術の妙技を新しい時代に生かしていくことが、 今後ますます必要になります。座敷のもつ安らぎ感や落ち着き、 静かな佇まいといったものが、襖の存在と切り離して考えることはできません。 襖のある座敷の味わいや美しさを知り、日本住宅における素晴らしさを再認識し、 より良い座敷への欲求思考が高まることは、日本人にとって素敵なことです。 襖が単なる住宅部品ではなく、より良い座敷空間を作り出すための座敷造形です。 襖という日本独特の造形は、日本人の生活の知恵によって生み出された傑作といえます。 襖の伝統性や気候風土との適応性、そして生活への結びつきといったものを考えてみると、 襖という日本独特の造形を表現するには、そのような言葉がぴったりと当てはまります。 今こそ再び襖の魅力を再確認することが、グローバル社会だからこそ大切

ふすまの素晴らしさ

襖とは、和風住宅の部屋同士を仕切る建具のことです。広い空間仕切る目的で古くから用いられてきた歴史があります。壁ではなく、取り外し可能な襖という建具を用いることで、空間を多種多様な目的で利用することが可能になります。普段の生活、様々な会合や会議、または祭りなどの催し物、宴会など人が集まる場では非常に便利なものです。このように襖によって柔軟に部屋の大きさを変化させて、一つの空間を利用するというのは、日本文化ならではと言えます。
また、襖には部屋を仕切るだけなく、明かりを遮ったり、保温・保冷を保つ機能、有害物質を遮る機能など多種多様の役割があります。これは壁同様とも言える襖ですが、やはり自由度を持っているという点で優れています。また、この材質の多くが木と紙等の天然素材を用いられているので、調湿作用を持っています。湿度が高ければ吸収し、逆に乾燥している場合は水分を放出するという働きを持っています。昔からこういった機能を利用していたのです。
また、枠が木で作られていることが、もう一つの利点です。扉というと、どうしても隙間から風を通してしまうため、ゴムなどでふさぐようになっています。しかし、襖では木そのものが空気中の水分を吸収して膨らんだり縮むという特性を持っているため、寒い冬には隙間影を防いでくれます。また、取り外しが可能ということは、取り換えも容易です。寒い冬には調湿機能を持つ和紙等を表面に張ったものを使用することで保温機能を最大限に利用します。
春や秋であれば、簡単に開け閉めすることで温度調節が可能です。何の道具を使わなくても、ちょうど良い風を通すだけの襖同士の幅を開けておけば良いのです。それも、風邪を入れたい場所を選んで隙間を開けることが出来るのは、優れた特性です。さらに、もっと暑い夏であれば、すべての襖を簾をはめ込んだものに変えてしまえば、それぞれの部屋を仕切り、不要な視線を遮りながらも最大限の通風が可能となるのです。素材自体が涼しさを演出するという作用も持ちます。
そしてもう一つ、鑑賞されるための美術品としての役割をも襖は長い歴史の中で担ってきました。数々の絢爛豪華なお城では、その城主である武将が自らの権力の象徴として、襖を美術品まで格上げしてきました。高名な書道家や絵描きにより、ある時は華やかに飾り立て、ある時は脅威を与えるために迫力ある動物の絵などを描かせています。それらは歴史を超えて、私たちの目を楽しませてくれています。歴史を超えて、色あせない芸術作品とのなっているのです。



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今の新潟県。越後の国では、かって南北朝争乱の中で、上杉氏は関東管領や、越後・相模・武蔵などの守護職となるが、上杉氏に従い越後守護代として各地に戦い、実力を蓄えて行ったのが長尾氏である。この長尾氏の末が上杉謙信である。応仁の乱(1467〜77)で統治組織は乱れ世は下剋上の時代となったが、越後守護代である。上杉謙信の父長尾為影もまたその一人で、主家である関東管領上杉顕定、越後守護代である、上杉房能の二人を攻め滅ぼし事実上越後国主大名の座についた。この為景の三男が長尾影虎、後の上杉謙信である。天文17年(1561)兄晴景と争って家を継ぎ、春日山城主と成って永禄4年(1561)には、上杉憲政から上杉の姓と関東管領の職を譲られ、元亀元年(1570)には名も謙信と改めた。北条氏康・武田信玄と対抗してしばしば信濃・関東に兵をすすめたが、特に武田信玄との、川中島の合戦は有名である。天正6年、武田・北条氏と和議を結び織田信長と覇権を争おうと大軍を集め、京都に向かう直前に春日山城山城で急死し、その雄図は空しく終わった。近世に入って金山で栄えた佐渡は、中世、越後と共に、配所の月に涙する流人の地でもあった。承元元年(1207)念仏教団弾圧の際、親鸞が流されたのは越後の国府(こう)であった。現在の中頸城郡板倉町であろうと推定されている。4年後罪を許されたが、配所の越後での生活は明らかではない。「立正安国論」を著し、幕政を批判し、他宗を攻撃して、日蓮が佐渡に流されたのは文永8年(1271)10月28日のことだった。佐渡での生活は極めて厳しいものであったと言うが、同11年(1274)許されて甲斐身延山に隠棲した。鎌倉幕府の専横を怒り、皇威の回腹をはかって、父後鳥羽上皇と共に承久3年(1332)挙兵したが後醍醐天皇の倒幕計画が漏れ、天皇が隠岐に流された時、資朝は佐渡守護本間城入道によって斬首された。しかし資朝の子阿新丸は、父を斬った山城の弟三郎を討って仇をとったことが「太平記」に出ている。

新潟県の長岡藩の河井継之助をえがいた時代小説 司馬遼太郎の峠

1966年(昭和41年)11月から1968年(昭和43年)5月まで『毎日新聞』に連載され、連載終了の1968年に新潮社上下巻で初版刊行された。
新潮文庫や新装版で多数重版されている。
それまでほとんど無名に近かった幕末から戊辰戦争時の今の新潟県、越後長岡藩家老・河井継之助の名を、一躍世間に広めることとなった歴史小説である。近代的合理主義を持ち、時代を見据える先見性と実行性を有しながらも、「藩」や「武士」という束縛から自己を解放するまでには至らず、最後には武士として、長岡藩の家臣として、新政府軍に対抗する道を選んだ英雄の悲劇を描く。
『峠』の連載に先立って1964年(昭和39年)1月には「別冊文藝春秋」に河井を主人公にした短編小説「英雄児」を発表している。

施工事例

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張替えました。
これで全面リフォームした様に
明るく美しく成りました。

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