山武郡横芝光町の襖(ふすま)の張替えに
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■鳥の子襖紙の種類
新鳥の子(普及品) |
上新鳥の子(中級品) |
鳥の子(高級品) |
手漉き本鳥の子(最高級品) |
奈良時代や平安時代の初期まで、襖は衝立や板戸や几帳などの間仕切りと一括りにして「障子」とよばれていました。そのころの襖は現代のように開閉できる建具だったというわけではありません。 間仕切りとしての障子で、たとえその一部であっても開閉できるようになった存在が確認できるのは、平安京の天皇の住まいであった内裏の紫宸殿と清涼殿です。10世紀後半、西宮左大臣であった源高明が宮廷の年中行事について記した「西宮記」という解説書があります。ここには、「障子戸」という言葉が出ており、この「障子戸」が、衝立とは異なる、明らかに開閉しうる障子戸、つまり現在の襖であることを示しています。また、紫宸殿の母屋の北の障子も注目されます。この障子は、九つの柱間に設けられたものです。これまでの古い文献では、殿舎でも、貴族の邸宅でも、壁以外に内部で仕切るには、屏風・衝立・几帳など、どこにでも動かせる調度品しかありませんでした。このように、障子という柱間にしっかりと固定した間仕切りが現われるのは初めてです。しかもこの障子には、一間を除く計八間に、中国の政治家・武将の肖像が描かれています。肖像の上部には、その人物の功業を記した称賛が色紙形に書いて張り込まれており、そのために「賢聖障子」とよばれていました。これはまさに襖の先駆けですが、同時に「襖(ふすま)絵」の先駆けとも言えるでしょう。
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1.山武郡横芝光町とは。
千葉県以外の人から見れば、とても長い町名と読みにくい郡の名前と思われるかもしれません。ただ、両方とも合併によってそうなったという経緯があります。山武郡は、山辺郡と武射(むさ)郡が合併してできた名前、横芝光町は、2006年に横芝町と光町が合併してできた名前(山武郡横芝光町)です。大手の保険会社が合併して長い社名になったのと経緯が似ているような気がします。千葉県内でも有数の河川である栗山川が町の中央を流れています。
2.エリア情報など
アカウミガメの産卵地である木戸浜海水浴場や調整池を利用したふれあい坂田池公園のような自然に触れあえるスポットがある一方。成田空港から比較的近いため、航空機のエンジン修理工場や核融合や加速器などの最新鋭機器の部品工場などハイテクな産業も根付く町、それが山武郡横芝光町です。
3.感想・体験談
山武郡横芝光町で良いなと思ったスポットが二つあります。町が勧める観光スポットではないのですが、九十九里ビーチラインの木戸浜交差点を海側に曲がった先に浜まで続く一直線の道があります。民家と草むらの先に見える木戸浜と太平洋が夏休みのワンシーンのような何とも言えない気持ちにさせてくれます。もう一つが長山台の工業団地です。ゴルフ場のあるような山の中からいきなり工場が立ち並ぶエリアに来るととても不思議な感じがします。地味なスポットですが、忘れられない風景。そんなところを見つけられるのが山武郡横芝光町かもしれません。