滋賀エリアの襖(ふすま)の張替えに
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■鳥の子襖紙の種類
新鳥の子(普及品) |
上新鳥の子(中級品) |
鳥の子(高級品) |
手漉き本鳥の子(最高級品) |
源氏物語絵巻の中に見てとれる障子・襖ふすま
源氏物語は日本の物語文学の最高峰として古くから尊重されたため、印刷技術の未発達な当時のことだから、いちいち筆で書写するより他なかったのだが、よほど読者が多かったと見えて早くから驚くほど多くの書写が行われて、絵画化も近世に至るまで絵巻・草子・色紙・屏風など数えきれないほど制作されている。ここにあげるのはその内でも最古の作品であり、絵巻様式として現存する作品の中でも最も古く、しかももっとも優れている「源氏物語絵巻」である。詩書・絵画共に現存するのは徳川美術館に十五段、五島美術館に四段、その他では東京国立博物館に絵画のみで補彩の多い一段と諸方に詩書の断簡が分蔵されているのみで、残っているのは物語としてはどちらかと言うと後半の巻巻に偏っている。絵画化と言っても長編のことであるから、もとは「源氏物語」全編五十四帖の各帖から一〜三場面ぐらいづつを抜き出して、その場面に相当する本文を美しい料紙に書写させて詩書とし。その後に一紙分の絵画を添えたものである。おそらく貴族達が二巻づつを分担して、それぞれが絵師と書の上手に制作させ、全体は十巻か十二巻に仕立ててあったのだろうと推定されている。この絵巻のなかで、障子ふすまにスポットをあてると、「柏木」の第二段で、山水を描いた引き違いの障子が見える。画面に障子の各面に全体は現れていないが、紺地に模様を織りだした縁を付けている。ただ、この段では、障子にも屏風にも色紙形は見えない。母屋・廂ともにここでは見える部分の全体に畳たたみが置かれていることは、この時代からふすま障子と畳たたみの関わりが見えてとれる。次に横笛の夕霧が妻の雲居雁と住む三条の邸に見れる。ここでは、唐屏風のやや大ぶりの構図の山水を描いた引き違いの障子がある。また同じ絵師の作と見える山水を描いた引き違いの障子もあり、その上の欄間に図柄の接合するような飛雁などを描いた嵌めこみの障子があることは注目される。当時の障子も高さは六尺あたりであろうので、それと天井との間、つまり欄間に嵌めこむ為の小障子があってしかるべきではある。「宿木」第三段の二条邸の対屋で中の君の前で夫匂宮が琵琶を弾く場面にも同じように欄間の障子が見える。作期は遅れるが「寝物語絵巻」で段簡には唐紙障子で欄間にも同じ文様の唐紙を張った子障子がある。これが今で言うところのふすまになる。
畳とは専門業者が取り扱う商品という印象があります。これは一面において事実です。素人でも畳を掃除したり裏返すことぐらいはできますが、初めから作るとなると、プロに頼むほかありません。 そしてそれなりの報酬を要求する専門業者ともなると、きちんとした仕事をしてくれると誰しもが考えています。 俄に注目を浴びた、同業者が急に増えた業界ともなると、その信用度は新規参入者ほど怪しくなってきますが、畳業者が近年になりブレイクしたとの話はありませんので、どこも昔からその商売を営んでいると考えて差し支えありません。 では、長年その業界で喰ってきた店ならば、どれもちゃんとしているかと言いますと、実情は異なるようです。畳屋にも個性(パーソナリティ)が店ごとに出てきます。 とある畳屋では、注文が殺到する時期が決まっているからと、余裕のある時期に人気商品を大量製作し、それを倉庫の中にしまっていたのですが、何の手違いか虫が大量にわいてしまったそうです。 現場の目撃者に言わせれば、「畳の裏側が腐り、黒く変色したのかと思った」というレベルだったそうで、残念ながら在庫品の少なからずが廃棄されたそうです。 畳に虫がわくのは珍しい話ではない(殆どの虫が無害で、ダニのように人体に悪影響のある害虫の方が珍しいとされています)と言いますが、これは極端な事例として記録されています。
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滋賀県 近江の国について
滋賀県と言えば琵琶湖が有名です。日本最大の面積で669.23kuと貯水量は27.5立方メートルを誇り、滋賀県の面積の1/6を占めます。この琵琶湖を水源とした水は、京都を経由して大阪で淀川と成り、大阪人の貴重な水瓶と成っています。この地はかっての近江の国として、多くの偉人、豪傑を輩出してきました。京の都が隣接し、東海道、中山道、北陸道が通り、東西の交通の要衝となっていた事が戦国期に多くの大名が城を構え拠点にし、また多くの江州商人と呼ばれる人々を日本全国に送り出したのでしょう。
滋賀県の面積は、40174.38uであるが、多くの部分を琵琶湖と山林が占めます。京都にまたがってそびえる比叡山は、古くから信仰の山として有名で、京の都にとっても非常に重大な意味を持った地域です。また今の滋賀県甲賀市、湖南市に当たる近江国甲賀(こうか)の地には、隣接した三重県の伊賀流と並び、甲賀流忍術が発達した様で、様々な古文書が見つかっているそうです。ただ単一の流派と言うことでは無く、様々な流派を合わせこの地方に伝わったものの総称として甲賀流と呼ばれているようです。特徴としては、薬草などを用いた術を得意としていて、その流れでこの地方には製薬会社が多く在るようです。甲賀市信楽には狸の置物で有名な信楽焼があり、滋賀県の特産品では近江牛が全国的に有名です。また日本三大珍味と言われる琵琶湖の鮒ずしも逸品です。
滋賀県甲賀市信楽の日本六古窯のひとつ信楽焼き
信楽の町を歩くと、いたるところに陶器が山のようにつんである。なかでも人目をひくのは、大小さまざまなおどけたタヌキの焼物である。信楽の名は、実に「信楽焼の名をもって天下に知られ、いまもなお伝統的な技術による陶芸の町として栄えているのである。信楽焼の歴史は古く、伝説によれば紫香楽宮造営の時に始まるという。町の窯業試験所には、古代窯跡から発見されたという遺品もある。しかし、実際に信楽焼が盛んになったのは鎌倉時代以降のことである。このころ、宋の陶磁器技術の移入があって、農耕用の水がめなど、多種多様の壷類が作られるようになったのである。その野性的な素朴な美しさを彩りあげたのが、室町末期の茶人達であった。ちょうどそのころから茶道が隆盛しはじめ、武野紹鴎(1504〜55)・千利休(1520〜91)らが茶器として用い、紹鴎信楽、利休信楽などの名が興った。後世、珍重される名器は主としてこの時代の作品である。今日では、徳川時代の中期ごろから始められたという水壷・植木鉢・食器といった日用陶器や、タヌキ・カエル・茶陶・花器・造園陶器などが主につくられている。古代から現代まで、信楽焼が一貫して名声を保ちえたのは、付近の広陵から良質の陶土が出るためで、今はほとんど信楽に集中しているが、いわゆる「三上・田上・信楽高原」の広い地域にも、古代窯跡が多く残っている。