湖南市の襖(ふすま)の張替えにスピーディーに対応!!
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■鳥の子襖紙の種類
新鳥の子(普及品) |
上新鳥の子(中級品) |
鳥の子(高級品) |
手漉き本鳥の子(最高級品) |
襖は部屋と部屋とを仕切る間仕切りの建具になります。障子は韓国、中国にもありますが、中国から伝来し日本で独自の発展を遂げたのが襖です。昔はどこの家にもありました。しかし、日本人の生活スタイルが変わっていき、家のスタイルも欧米化することによって、少しずつ日本の家、マンションの部屋から減ってきました。そして、今では和室という日本の部屋というところにだけで使用されるようになってきました。襖は部屋を間仕切る建具ですが、壁、部屋のアクセサリとしても利用することができます。引き手、縁、表紙は数多くの種類が多くあり、これらを変えることで部屋の雰囲気は大きく変わってきます。日本の住宅は日本家屋、マンションと変化していき、現在では和室以外はほとんどが洋式の欧米スタイルです。しかし、そんな通り一辺倒なスタイルを襖が変えることができます。襖には数多くの種類があり、真っ白のものから、デザインが印刷された壁紙のスタイル、また、真っ白のものに自分で絵を書いたりと、ちょっと工夫することでいろんな事ができるのです。壁紙のような使い方ができます。また、間仕切りですのでなくすことで部屋を大きくもできます。工夫をすることで家のスタイルを変えることができます。
現在では、量産襖と呼ばれている襖がよく使われるようになっています。これは文字通り、大量生産が可能な襖で、その分製造コストは安めとなっています。なおかつ、素材には安価で仕入れることのできるものが使われています。そのため量産襖は、古くから使われている本襖と比べると、販売価格も安いです。もちろん安いといっても、使い勝手が悪いといったことはありません。具体的には量産襖は、ダンボールで作られています。ダンボールは内部が空洞になっているので、素材としては非常に軽量です。そのため量産襖は開閉しやすいですし、敷居を重みで傷つけてしまうこともないのです。さらに、ダンボールが湿気を吸わないよう、表面にはアルミ箔が貼りつけてあります。そのため、湿気によりカビが生えてしまう心配もありません。また、ダンボールではなく発泡スチロールが使われている量産襖もあります。発泡スチロールもやはり軽量ですし、もともと湿気が入り込むことのない素材です。もちろんどちらの場合も、表面には一般的な襖紙が張ってあります。そのため見た目は、高級な本襖と変わらないのです。安価で便利で、それでいて高級感があるので、普及率はどんどん高くなっています。
襖の張替えを行うと、部屋の雰囲気が変わります。襖の汚れや日焼け、破れがなくなり、きれいになります。部屋の中が明るくなり、気持ちよく過ごすことができました。
襖の張替えで、全く異なる雰囲気の襖紙を選ぶこともできます。紙の質や素材が変わると、値段も大きく変わってきます。しかし、高いものは丈夫で長持ちします。小さな子供がいる家庭は破れる心配がありますが、普通に暮らしていると破れてる心配はありません。
今までの薄い襖紙は、気が付かない間に日焼けやシミができていました。毎日見ていると気が付きませんが、新しいものに張替えるとよくわかります。今度はざらざらした材質のものにしました。厚みがあった丈夫です。日焼けしにくく汚れも目立ちません。リフォーム時には費用が掛かりますが、持ち家で長期間使用する予定がある場合にはおすすめです。
襖がきれいになると、部屋の他の部分の傷みが気にならなくなります。襖の開け閉めもしやすくなります。襖の張替え時に、一緒に引手も交換しました。色々な形があり、好みのものを選ぶことができました。部屋によって変えたので、大人用の部屋はシンプルなもの、子供用の部屋にはお花のような形のものにしました。
張替え時には費用が掛かりますが、見た目もおしゃれになりうれしかったです。
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湖南市大津市の北西方、京都との境に南北に連なる地塁山地、それが比叡山である。その山体の大部分が秩父古生層からなり、南部には花崗岩がみられる。山頂付近一部の急斜面もあるがは概して緩斜面をつくっている。最高点は京都市側の四明ガ岳の海抜848m。山上には、平安時代の初期、伝教大師最澄によって開かれた比叡山延暦寺がある。延暦7年(788年)南都(奈良)の仏法を修業した最澄が比叡山に登って比叡山寺を造立、自作の薬師如来坐像を安置、仏教興隆の祈願道場とした。これが後の一乗止観院、すなわち根本中堂の起こりとされている。薬師堂・文殊堂・経堂の3宇があり、本尊を祀る薬師堂がその中央に建っていたので、根本中堂と称したのだと言う。延暦23年(794年)京都に遷都した桓武天皇は、比叡山へ御幸し比叡山寺を都の鬼門鎮護の霊場に定めた。比叡山延暦寺は、天台宗門三大本山のひとつとされる巨刹で、堂宇は東部の東塔、西寄りの西塔、北部の横川の3地区に分かれ、さらにこれが東塔の東谷・南谷・西谷・北谷無動寺谷、西塔の東谷・南谷・北谷・南尾谷・北尾谷・横川の香芳谷・戒心谷・解脱谷・兜卒谷・飯室谷・般若谷の計16谷に分かれている。これを比叡山の三塔十六谷と呼ばれる。寺の盛時の平安後期の頃には、三塔十六谷に3000余の坊舎が満ちみちて、その勢威は白河法皇をして『加茂川の水、双六の賽、山法師(延暦寺の僧兵)は、これ朕が心に従わざる者』と嘆かしめた程であった。元亀2年(1571年)史上有名な織田信長の比叡山焼き討ちにより、全山焼き払われたが、江戸時代の初め、徳川家康の援助などによって復興された。巨杉に囲まれて建つ東塔の根本中堂や西塔の釈迦堂などの壮大な伽羅は、長い間仏教の霊地として敬われて来た歴史を余すこと無く伝えている。登山道としては大津市側には坂本から根本中堂に登る東塔坂、京都市側には白川道・雲母坂・走出道などがある。しかし昭和初年にケーブルカーが設置されてからは、登山道はあまり利用されることは少なくなっているようだ。今は四明ガ岳山頂には、自然科学館や高山植物園などを備えた遊園地がある。湖南市側からは、日吉大社の門前町・坂本から表参道を経て、無動寺谷を通って登る登山道がある。山中には湖南市大津市から京都大原方面へ抜ける東海自然歩道が通っている。