甲賀市の襖(ふすま)の張替えにスピーディーに対応!!
無料お見積りはこちらメールは24時間受付 |
■鳥の子襖紙の種類
新鳥の子(普及品) |
上新鳥の子(中級品) |
鳥の子(高級品) |
手漉き本鳥の子(最高級品) |
これまで、家の襖(ふすま)の張替えは、祖父母が行っている場合が多くありました。しかし、時代とともに、核家族が増えてくると、そういった機会がなくなり、その技を伝える機会もなくなってきているのが現状です。
かといって、日本の住宅には、ほとんどの場合、和室が存在します。和室には押入れがあることが多く、その扉の多くは襖(襖)が使われております。部屋と部屋のしきりに襖(ふすま)が使用されることは減りましたが、まだまだ多く使用されています。
しかし、最近では正月でも家で過ごすことが減り、旅行などで宿泊することも多くなり、季節感がなくなってきています。そのせいもあり、大掃除の時に襖(ふすま)の定期張替えを行うといった風習もなくなってきました。
そこで、小学生、中学生の子供のいる家庭では、春の家庭訪問の時期に、襖(ふすま)の張替えを行う家も多くなっているのです。特に、先生が変わったばかりの時期ということもあり、気分も新たに、襖(ふすま)の張替えをするわけです。
襖(ふすま)の張替えについては、最近は、インターネット上で業者を見つけることができるようになりました。そこには、対象地域も掲載されているので、地域名と襖(ふすま)の張替えで検索すれば、すぐに見つけることができ、利用しやすくなっています。
無料お見積りはこちらメールは24時間受付 |
甲賀市の名産といえば水口細工です。では、この甲賀市の名産である水口細工ってなんでしょうか。これは滋賀県水口町から産出する葛や籐のつるなどで作ったツヅラなどの細工物をいいます。東海道の水口宿の名産として広く知られていました。今では、全国的にも甲賀市の名産としてかなり有名になりました。この甲賀市の名産は、江戸時代の頃の水口の名産品として流通していました。当時の水口は加藤家の城下町だったんです。なので東海道の水口宿として栄えることとなりました。そこで人気を博したと言われています。他にもさまざまな献上品としても利用されてきました。甲賀市の歴史は、水口細工ともにあったのです。さらに明治時代になると、輸出されるようになり、海外の方たちにもかなり好評で、かなりの盛況となったようです。外国人の方から見たら、さぞかし水口細工は珍しいものに思えたのかもしれません。しかし、その後戦争に突入しやがて衰退していきます。戦後は、従来の藤細工や経木細工などが登場してきました。その後は、石油化学製品が主流になったこともあり、水口細工の需要がどんどん衰退の一途をたどっていきます。1970年に水口細工の伝承者が亡くなくなってしまいました。ここで、甲賀市の名産の水口における水口細工は途絶えてしまいました。ここで長い間作られることがなくなりました。しかし、2000年に甲賀市の名産である水口細工は復活することになります。水口に住む有志たちが立ち上がり、甲賀市の名産である水口細工を復活させるべく、水口細工復興研究会が設立されました。そこで先人の作品の調査や、水口細工の関係者の聴きとり調査を行いました。そして竹藤細工技術者との交流をしながら、復活することになりました。今後は、絶えることのないよう、水口細工復興研究会を続けることによって、未来の水口の住民の方々に伝えていく努力をしているところです。この伝統工芸を皆さんで支えていってほしいものです。