会津若松のちょっとした歴史について・・・・・


会津若松は、戦国時代には数多くの大名がこの地を治め、江戸時代には会津藩の城下町として栄え、そして幕末の戊辰戦争時には、旧幕府派(東軍)として最後まで抵抗し激しい戦場と化した会津若松。特に、鶴ヶ城(会津若松城)に立てこもった白虎隊が、一ヶ月続いた篭城戦の後、最終的に降伏した史実は有名です。
郷土料理としては、江戸時代から明治初期にかけて会津藩の武家屋敷や庶民のご馳走として広がった「こづゆ」が、また郷土玩具では「赤べこ」が代表的です。
会津若松市のある会津平とも呼ばれる会津盆地には、喜多方ラーメンでおなじみの喜多方市もあります。また、会津盆地から北側には米沢盆地、東側には郡山盆地、そして西側には越後盆地があり、各種交通機関によって各地と結ばれていて、観光などを通してそれぞれの都市との交流も頻繁に行われています。それから、南側には会津高原が広がっていて、日本百景の一つにも数えられている尾瀬国立公園もあります。会津若松市の西側を阿賀川が、東側は猪苗代湖に面しています。
会津若松の主な観光名所を幾つかここに挙げておきます。[会津若松城]日本100名城の一つに数えられています。1384年(至徳元年)に葦名直盛が初めて館を築き改修を経て、戊辰の戦役で新政府軍の一ヶ月に及んだ猛攻にも落城しなかった事から、難攻不落の名城と謳われるようになりました。そんな若松城が石垣だけを残して取り残されたのは、明治7年のことですが、再び鶴ヶ城として蘇ったのは、昭和40年9月のことでした。
[会津武家屋敷]江戸時代の会津藩家老西郷頼母の屋敷を中心とした歴史的建造物が軒を並べる屋外博物館の会津武家屋敷となっており、赤べこや起き上がり小法師の絵付体験なども出来ます。[御薬園]室町時代に霊泉の湧き出したこの土地に、葦名盛久が別荘を建てたのが最初といわれ、国の名勝に指定されている徳川時代の代表的な大名型山水庭園です。鶴ヶ城の東に歩いて15分の所にあり、中央に心字の池を配した回遊式の借景園、また薬草園からこの名が付けられたといわれます。
[旧滝沢本陣]国の史跡に指定されている会津藩の本陣跡です。国の重要文化財に指定されている書院づくりの茅葺き屋根の建物のあちらこちらに、弾痕や刀傷が残っていて、戦いの痕跡を留めています。この他にも、まだまだ沢山の見所名所があります。例えば、会津若松駅から新潟県魚沼市の小出駅までを結んでいる只見線の列車に乗って、車窓から見える美しい風景を楽しんでみるのもいいかもしれません。自分なりのプランを立てて、会津若松を訪ねてみては如何でしょうか。

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