大化の改新と大阪の難波の宮史跡について

奈良、大阪、京都、滋賀など近畿地方は、古来より都がおかれ神社仏閣などの名所旧跡が多いのですが、大阪市内には難波宮跡と呼ばれている史跡があります。
大阪の史跡と言えば、太閤さんの大阪城とそれにまつわる数々のお堀や抜け穴の話など
が有名で、一般的にも関心が深いのですが、難波の宮で行われた「大化の改新」と言えば、ご存知の方も多いと思いますが大阪市内に難波の宮と言う都が在りました。
「大化の改新」とは646年飛鳥時代の孝徳天皇2年(大化2年)の詔による改革で、中大兄皇子(後の天智天皇)らが、当時まつりごとを牛耳っていた蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏本宗家を滅ぼし、都をを飛鳥からこの難波宮に移し、蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治に取り戻したとされている。

現在の大阪城の外堀南西部あたり大阪市中央区馬場町・法円坂・大手町などで大阪歴史博物館、NHK大阪放送局等のあたりで、その一部が難波宮史跡公園と成っている事は周知の通りです。
日本書紀にはその存在が記されていて推察はされていましたが、1953年に大阪城外堀辺りのこの場所から鴟尾と呼ばれる瓦葺屋根の一部が発見される迄はその所在は、確定しなかったそうです。



645年に孝徳天皇がこの大阪の難波の宮に遷都し、宮殿は652年に完成しました。
その後683年に天武天皇が複都制の詔により、飛鳥とともに難波を都としました。しかしこの宮殿は686年に火事で焼失してしまいました。これを前期難波宮と呼んでいます。
次いで726年に聖武天皇が藤原宇合に難波京の造営を命じ平城京の副都としました。
これを後期難波宮と呼びます。
聖武天皇が現滋賀県の近江国甲賀郡に建てしばしば行幸し、後に甲賀宮と成る離宮を紫香楽宮を言いますが、これらの都を経て784年桓武天皇により長岡京に遷都されるまで100年余り存在しました。
長岡京に移る際大極殿などの建物が長岡京に移築されました。
尚、難波の宮の発掘には元大阪市立大学教授 山根 徳太氏のなみなみならぬ情熱がありました。当時文献史料に記載されていましたが所在地が不明のままであった難波宮の研究を行い、苦労の末に大極殿跡を発掘しました。その際「われ、幻の大極殿を見たり。」と名言を残しました。 ここに難波の宮の実在が証明されました。



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