大阪の四天王寺と1月の祭「四天王寺どやどや」 大阪市天王寺区に四天王寺というお寺があります。四天王寺は日本で一番最初にできた官寺です。587年に物部守屋を討伐する際に、聖徳太子が四天王寺に勝利を祈願して建立したといわれています。「荒陵寺」「天王寺」ともいい、第二次世界大戦後、和宗総本山となりました。四天王寺の境内の中央に六時堂という雄大なお堂があります。昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから「六時礼讃堂」「六時堂」と言われています。 四天王寺では正月元旦から14日間、六時堂で修正会といわれる修行が行われ14日の結願の日に、「どやどや」が行われます。 「どやどや」とは、天下泰平、五穀豊穣を願う祭です。僧侶の儀式に並行して、赤と白の鉢巻とふんどしをした若者たちが東西から六時堂前の拝殿に押し寄せ、東の赤、白、西の赤、白の4チームの代表者が背中合わせになり、そこに全員で左右から押し合いもみ合いをして、いずれかに押し切ったチームが勝ちとなります。六時堂に人がどやどやと集まってくることから「四天王寺どやどや」という名前の祭となっています。 かつて、東の白は大阪市の生野の方面のお百姓の人たちが、西の赤は大阪の阿倍野の方面の漁師の人たちだったことから、現在も白組は東から、紅組は西の方から登場しています。勝負が決まると、六時堂にかがり火がつけられ、その後数百の牛王宝印楊枝という楊枝に挟まれた魔除けの護符がお堂の梁の上から投げられるのを鉢巻と裸のふんどし姿の群衆が取るためにひしめき合います。この護符は農家の人が田畑に置くことで害虫の被害にあわないというものです。 昔は旧正月の結願の日の夕方の6時から法要が始まり、護符を投げるのは夜の8時から9時頃でしたが、今では混乱を避けるために午後2時から始めています。参加者も特定の生徒と教職員に限られていて、楊枝も危険なので護符だけを投げています。 当日は大阪の園児の部から始まり、園児は上半身裸で短パンと鉢巻と運動靴姿で男児も女児も参加します。続いて大阪の特定の学校の中高生の男子生徒と教職員達が前半と後半に分かれて参加をします。全員裸で鉢巻とふんどし、白足袋姿で勢いよくもみ合います。大阪でも真冬の寒い時期の裸祭りです。 岡山の西大寺会陽、岩手の黒石寺蘇民祭と並んで、この大阪の四天王寺どやどやは日本三大奇祭と言われています。昔の旧正月から新正月に、また夕方から始まっていたものが午後2時くらいになり、一部変更しながらも昔ながらの伝統を引き継いでいる行事です。そして昼間になったことで見学もしやすくなっています。 四天王時に行くには大阪市営地下鉄谷町線の「四天王寺前夕陽丘駅」が最寄り駅で徒歩5分のところです。四天王寺は歴史のあるお寺なので大阪の観光名所ともなっています。近くには大阪でも有名な通天閣、新世界もあります。 |