大阪地名の由来と歴史

大阪は西日本最大の都市です。大阪の地名の由来は、浄土真宗中興の祖である蓮如が書かれた御文の中にみられる記載です。石山本願寺を建立し、その勢力を周辺にのばすにつれて、古くは浪速(なにわ)などの地名が用いられていましたが、大阪という名称が広まったようです。漢字の表記は当初「大坂」が一般的でしたが、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代には大阪の字が定着しました。大阪の町は浪速・難波とよばれていた、古代の日本最初の首都が成立した頃から国際的な湾岸都市であり、江戸時代には日本経済の中心でした。古代国家がこの地を重要視したのは、大阪湾は西日本の交通の要である瀬戸内海の東端にあり当時の首都から最も近い場所にある港湾であることから繁栄しました。1583年、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が大阪城を築きました。配下の大名の屋敷を置き、堺などの周辺の町人を集めて城下町としました。政治・経済の中心都市として繁栄しました。豊臣氏が滅んだあとも、江戸幕府は当時の大阪の水路による交通の便を考慮して、直轄地として河川の改修などを行い、水の都としました。水路では年貢米をはじめ日本各地の特産品が運搬され、大阪は「天下の台所」とよばれるほど繁栄しました。大阪は商人の町として繁栄してきました。建前や権威に縛られない大阪商人の気質が町の文化を生み出し、自由闊達な大阪の雰囲気を生み出しています。その背景として、大阪と京都の関係があります。京都h長らく日本の文化の中心でした。京都に住む、武士や貴族は序列を重んじる、伝統や因習に縛られた縦社会の文化です。しかし、町人が多く、商業が盛んな大阪では序列を重んじる侍文化や貴族文化は根付きませんでした。商人の気質としては、身分で役職が固定されることを嫌い、能力に応じて成り上がれることをよしとする考えが根底にあります。大阪の商人は権威によってひょうかされたものをそのまま受け入れるのではなく、自分が判断して良いと思ったものを好む傾向がありました。商業が盛んな土地柄で、ひとりひとりが自分で物事を判断していかなければならない環境の中で育まれた気質であろうと推測されます。そうした大阪の町の文化は現在でもたくさんの芸能に引き継がれています。建前や権威にしばられない、ストレートで厳しい観客としての評価が、大阪のさまざまな大衆芸能を育んでいます。大阪を、こうした歴史をふまえて観光されると、また、ちがう大阪の魅力を再発見できると思います。

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●海外でも有名な観光地大阪城。
かって繰り広げられた大阪夏と冬の陣。

●大阪の今宮戎神社での
   年の最初のお祭りの十日戎

●大阪市天王寺区の四天王寺と
   ここのお祭「四天王寺どやどや」

●大阪市のメインストリート、
   御堂筋銀杏並木の魅力

●大阪冬の陣、夏の陣に至るまでの徳川家康と真田幸村の因縁について
●大阪城3Dマッピング
 スーパーイルミネーション 日程と料金

●大阪観光地めぐり案内
落語の演目「まんじゅうこわい」からみる京・大阪の上方落語と江戸落語の違い
●上方落語で使われる大阪弁の源流・船場言葉について
●大阪府大阪市内のめずらしい読み方の地名
●大阪のパンケーキのお店は本当においしいです
●「大阪市」を代表する地域の特徴と、
大阪の人のユーモアセンスについて

●大阪市交通局の運営する大阪市営地下鉄について
●大阪はおいしい食べ物と娯楽施設が多い
観光都市

●大阪に衝撃をもたらした、大塩平八郎の乱。
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10月27日朝スタートです。

●大阪観光での人気スポットはどのような場所か
●大阪で唯一の
落語の定席「天満天神繁盛亭」

●本当の大阪は大阪市だけでなくその周辺にもある
●今年はタイガースファンにとって本当に残念でしたが、熱心なファンに支えられています
●大阪では、一日中ソースを食べても不思議と飽きません。
●大阪と大阪市の食文化を憂うことが
多くなった

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