大都会の中にたたずむ明治神宮
東京という大都会には人々の雑踏のエネルギーが沸き返っています。その大都会の交通の要衝ともいえる渋谷駅のすぐ隣にある駅が原宿。その原宿駅の周囲にも代々木公園、竹下通り、ショッピング施設、NHKの各設備、体育館などの人々がにぎにぎしく集まる場所が多数あります。そのような街の中になぜか落ち着いた場所が存在します。そこが明治神宮。多くの人々が殺伐と通り過ぎる都会の中にこのような場所が存在するということは一つの奇跡かもしれません。
原宿駅にほど近い明治神宮の入口に入るともうそこからうっそうと木々の生い茂る御神域となっています。木々に囲まれた長い参道からも明治神宮の聖なる気を感じます。やがて奥の方の明治神宮ご本殿に近づいていきます。ご本殿に近づくとより一層身が引き締まるような気を感じます。厳かでそれでいて近寄りがたいわけではなくどこか懐かしい、そんな不思議な感覚を味わえるのが明治神宮ご本殿。でもなぜそのような空気がこの場所にみなぎっているのでしょうか?
明治神宮は明治天皇とお后の昭憲皇太后をお祀りした神社です。明治天皇の御世はまさに激動の時代でした。西洋列強各国が我が国に接近し、アジア諸国が次々と西洋列強の植民地となっている時代でした。その時代に長年の鎖国をしていたこの日本国は急速な近代化を進めなくてはなりませんでした。法律の整備、近代政治制度の確立、近代産業の育成、軍備の強化、教育の浸透、などの施策が当時の人々の血のにじむような努力の中で進められました。そのような改革の中心にあらせられたのが明治天皇でした。
明治天皇は常に国民のことを深くお考えになっておられました。常日頃から質実剛健な生活を通され、日清日露という二つの大きな戦争があった際も、最後まで戦争を回避する道を願われましたが、いざ戦争がはじまると前線で戦う兵隊の苦労を深く思われて、その兵隊の日常と同じような質素で苦しい生活をお続けになられました。また、日本が近代化を進めるとき、明治天皇が真っ先に断髪をされ、洋風の生活をお取入れになられたので、多くの国民が従来の生活スタイルを近代的なものに変えたともいわれています。
このような明治天皇は多くの国民から深く敬愛され、崩御されると、明治天皇をお祀りする神社をおつくりしたいという国民の声があがり、それに応える形で明治神宮が造営されました。明治神宮に数多く植えられている木々もその時の多くの国民から奉納されたものです。現在明治神宮は毎年初詣客数一位の座にあります。その理由は交通の便の良さもあると思いますが、国を思われた明治天皇のお気持ちとそれを慕う当時の国民の想いが綿々と現在の明治神宮に息づいているからというのも一つの理由ではないでしょうか?