大阪の法善寺横町と水掛不動 いわれとアクセス
法善寺は大阪府大阪市中央区難波1丁目に所在する寺である。宗旨は浄土宗である。本尊は阿弥陀如来であり、西向不動明王は水掛地蔵として参拝客に親しまれている。
また、金毘羅天王、お初大神などもまつられている。開山は琴雲であり、琴雲は77歳で亡くなった人である。1637年に山城国より現在の土地に移ったとされているが、他にも説があるのではっきりしたことはよくわかっていない。
水掛地蔵として有名な西向不動明王は大日如来の教令輪身であり、火炎を背にして、右手に剣をもち、左手に縄を携えた姿をしている。もともとは、この像に水を捧げるという風習があったが、いつの頃からかこの像に水をかけて、息災を祈るという風習に変わっていった。不動明王はとても強靭で逞しいといわれ、魔者や厄災を追い払ってくれるという言い伝えがあることから、多くの参拝者に人気がある。不動明王が火炎の中に住んでいるのは、人々の煩悩を火で焼き払って、悟りに導きたいということを願っているからである。
参拝客は、自身の体の悪いところと同じ部分に水をかけて、病気が良くなることを願ったり、願い事が叶えられるようにと、水をかけては祈りを捧げている。
法善寺横町は、法善寺の境内の露天から発展した商店街である。全長は約80メートルであり、幅約3メートルの2本の露地が東西にのびている。居酒屋や、料理店などが軒を連ねる。
法善寺横町が有名になったのは、織田作之助の小説「夫婦善哉」からである。夫婦善哉は芸者と、化粧問屋の若旦那の恋の物語であるが、善哉というタイトルは、実際に法善寺横町にあるぜんざいの店の名からとられている。作者は法善寺横町を、大阪の中でいちばん大阪らしい場所として愛していた。また、ぜんざいの店の前に飾られた人形を、大阪の主であると著書で形容している。
法善寺横町をモチーフにした有名な曲で、法善寺横町の名前を広めた曲には、「月の法善寺横町」がある。この曲は十二村哲が作詞をし、飯田景応が作曲をした。歌は藤島桓夫である。この曲は1960年に大阪だけでなく日本中で流行した。
法善寺の水掛不動と法善寺横町を訪れるには、電車では大阪市営地下鉄御堂筋線、もしくは大阪市営地下鉄千日前線を利用して、難波駅で下車する。また、近畿日本鉄道の大阪難波駅からも訪れることができる。バスを利用するばあいは、大阪市営バスの73号系統もしくは105号系統の難波東ループの戎橋のバス停を利用すると良い。