東京赤レンガ駅舎
東京駅赤レンガ駅舎でも有名な東京駅は、東京の表玄関とも言えるターミナル駅で、在来線や新幹線、地下鉄など日本でもっともプラットホームの数が多いと言われております。面積で言うと、東京ドームおよそ3.6個分に相当すると言われております。東京駅赤レンガ駅舎は、辰野金吾らによって設計したと言われており、1914年に竣工して2003年に国の需要文化財に指定されております。この趣のある東京駅赤レンガ駅舎は、関東の駅百選の認定駅でもあります。
東京駅赤レンガ駅舎のある東京駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく建設当時はまだ野原であった丸の内側に建設されました。皇居の正面に設定されており、丸の内の中央に皇室専用貴賓出入口が造られていることからも分かるように、国家の象徴的な位置づけであったようです。東京駅赤レンガ駅舎は、深谷市産の鉄筋レンガ造りの3階建てで、総建坪9545平方メートルで長さが330メートルの豪壮華麗な洋式建築となっております。
東京駅赤レンガ駅舎を設計したと言われる辰野金吾は、日本の武士で建築家であり、現在の東京大学工学部を卒業し、設計の頑丈さから辰野堅固と呼ばれていたようです。もう一人の設計者である葛西萬司は、明治から昭和初期に活躍したとされる建築家で、辰野金吾と建築設計事務所を共同経営していたと言われております。東京駅赤レンガ駅舎は、太平洋戦争末期の1945年にアメリカ軍による東京大空襲で丸の内本屋の降車口に着弾し大火災を引き起こしたと言われております。
東京駅赤レンガ駅舎は、空襲によって鉄筋造の屋根が焼け落ちてしまい、内装の大半が失われてしまいましたが、終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し1947年にかけて修復工事をおこなったってきたとされております。1929年には八重洲口が開設されて、1948年にモダンデザインの建築にて竣工しましたが翌年焼失し、1954年に駅舎が立て替えられ八重洲本屋が完成しました。八重洲口には百貨店などが出店しにぎやかになっていきますが、丸の内側の東京駅赤レンガ駅舎はそのままの雰囲気が残ります。
東京駅赤レンガ駅舎は、戦災によって焼失後3階建ての駅舎を2階建ての駅舎に復興されてきましたが、近年の保存、復原工事によって外観を創建時の姿に忠実に再現し、未来家継承するために鉄筋煉瓦造の下に地下躯体を新設し、機能を拡大する工事をおこないました。巨大な地震などにも耐えることができる建築とするために、免震工法によって施行され、安全に配慮した施行計画であったと言われております。東京へお越しになる際は、ぜひご覧になってみてください。