水の都大阪の由来と歴史

その昔、大阪は海の下に位置していた。海岸線は、平野のほうまで深く入り込んでいた。やがて、淀川が運んできた土砂によって湖ができ、その後新たな陸地ができた。これが、大阪の起源となる難波津である。
難波津は、諸国の交易を盛んにし飛鳥時代まで栄えた場所である。その後、古代王朝は奈良や京都に都を移す時代が続き、そのせいで大阪が栄えることはなかった。

しかし、海と川に囲まれた天然の要塞に恵まれた大阪に目をつけた武将がいた。それが豊臣秀吉である。海や川を活かして守りの堅固な城を築いた秀吉は、城下町を整備し、治水対策まで力を入れた。堀を掘った土が新しい土地を作り、それが繰り返されて町が整備されていった。整備された町は商人が行き交うようになり、大阪は栄えていった。江戸期までには15本もの堀が作られ、まさに水の都として大阪は成り立っていた。このように、水の都としての大阪は秀吉以降の都市開発も進み、全国一の交易拠点となった。これは北海道や江戸、畿内を結ぶ航路や、川を利用して京都や奈良に結ぶ航路もあったことが一つの要因と考えられる。

しかし、水の都として栄えた大阪には水と闘ってきた歴史も忘れることはできない。台風の際の高波は、もともと海の下に位置していた大阪にとって危惧すべき事柄であり、それを避けるためにだんだんと都市を内陸へと移していった。
近代に入ってからは、技術が発達してきたのでさまざまな水門を設けることでこれを回避することができるようになった。
このように、大阪の人々は川に寄り添い、海を利用して都市として発展させていった。現代になり、都心部を回廊のようにめぐる川をまた利用できないか、と考えるようになった。

世界で有名な水の都は、アムステルダムやベネチア、サンアントニオ、バンコク、蘇州などがあるが、都心部が川で囲まれた都市は大阪しかない。また、都市面積の10パーセントが水面という大阪は、やはり水の都といえるだろう。
そこで、水の都、大阪の名を再び世に広めるために、様々なプロジェクトが開始された。水辺にシンボルを作り、さまざまな建築物のライトアップを目玉にし、また、船による観光などにも力を入れた。特に、水上バスやクルーズは人気を博し、多くの観光客が訪れるようになった。その結果、また大阪は水の都として世間に知られるようになった。

昔から現在まで、大阪は水に寄り添い発展を遂げてきた。これからも水路を利用し、よりよい発展を目指している大阪。これが、大阪が水の都と呼ばれる所以である。

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